キハ58 624



九州最後の普通列車用キハ58系として活躍したうちの1両。

1965年4月14日新潟鉄工製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で盛岡機関区へ配置された仲間の1両。同一ロットでは625が同日に夏季輸送で苗穂へ配置されており、夏季輸送後盛岡へ合流した。同時期に617〜629が一挙に盛岡に新製配置されている。盛岡では東北本線の幹線急行で使用されたが、1967年度末よりモデルチェンジ型キハ58が盛岡に投入されるのに際し一部キハ58が他区所の増強用に回され、当車は1968年3月度に九州は直方気動車区へ転出した。なお兄弟の625は遠く和歌山へ転出しており、兄弟離れ離れとなった。直方では800番台に混じり、日田彦山線の急行で使用された。1972年度末には長崎へ移り、長崎本線系統の急行で使用されるようになり、九州では遅い時期であったが1973年度に冷房化された。長崎本線電化による電化で急行廃止後もそのまま残り、また1984年の「59-2改正」による客車・気動車普通列車の電車化後も引き続き大村線・松浦線系統の普通列車用として長崎に残り、そのままJRへ引き継がれた。長崎ではローカル使用であったことから1988年3月3日には九州色に変更された。1991年より快速「シーサイドライナー」のアコモ改善が行われることになり、急行廃止で余剰となった車両が流入し、当車は玉突きで大分地区の普通列車に使用されることになり1991年11月7日付で大分へ転出した。これと前後し、1990年3月12日付で近郊化、1991年11月7日にはワンマン化され、以後豊肥・久大本線でワンマン運用に使用された。1993年度には大分にキハ125が投入されワンマン運用が置き換えられ、当車は日南線のワンマン化に使用されることになり、1994年3月度で鹿児島運転所(宮崎運用)へ転出した。2001年には日南線をキハ31形及びキハ40系に置き換えとなり、当車は鹿児島運転所本所へ移動し、肥薩・吉都・指宿枕崎線で使用されるようになった。また当車は2000年以降引き続き当面使用する車両となり、1999年8月21日付で汚物処理装置の取り付けが行われた。その後2006年6月〜7月にキハ220形が大分に新製配置されたのを機に車両の大幅な転配が行われ、鹿児島地区のキハ58系ワンマン車は捻出されたキハ40系に置き換えられ用途廃止となり2008年3月31日付で廃車となった。

外観は、鋼体自体は原型をよく保っているが、九州特有の改造や特殊塗装により、原型からは随分雰囲気が変わっている。前述のとおり冷房化年月日は不明であるが、おそらく1973年度であると思われる。
前面は、前面補強が未施工となっている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側テールライトの右へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の雨どい及び通風口が撤去されており、鹿児島地区の標準スタイルである。また、鹿児島地区では降灰の関係上デフロスタを装備している。鹿児島地区標準のフック式のヘッドマークステイが貫通扉に取り付けられている。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。近郊化改造が施工されているので、洗面所が撤去されており、当該箇所の臭気抜き窓がなくなっている。また、乗降ドア点検蓋が、後期車のような横長のタイプとなっている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。当ロットでは新製時より乗務員室窓バランサー点検蓋が付いているが、当車はそれを埋めたうえでそれより小さい点検蓋が設けられている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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