キハ58 626 → キロ59 508



1965年4月21日新潟鉄工製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で苗穂機関区へ配置された。同一ロット626・627両車が苗穂へ配置されている。苗穂へは北海道夏季輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後の1965年9月23日付で盛岡へ正式配置されている。同時期に617〜629が一挙に盛岡に新製配置されている。盛岡では東北本線の幹線急行で使用されたが、1967年度末よりモデルチェンジ型キハ58が盛岡に投入されるのに際し一部キハ58が他区所の増強用に回され、当車は1968年3月14日付で奈良機関区へ前ロットの625と共に転出した。奈良では急行「かすが」に使用されたが、1973年10月1日関西本線奈良電化の際にキハ58系の奈良配置が廃止され、同日付で和歌山へ転出。以降急行「きのくに」を中心に急行「紀州」「かすが」等で使用され、1976年頃に冷房化された。「60-3改正」で特急「くろしお」に485系が投入され急行「きのくに」が格上・全廃されるのに伴い、当車は他の仲間と揃って丹波地方へ転出することになり、1985年3月12日付で豊岡機関区へ転出した。これは、豊岡には車齢の高い若番車や非冷房車が集まっていたため、これを置き換えるためである。国鉄最後の「61-11改正」で福知山線が電化され、急行「丹波」が廃止されると豊岡配置車は大幅に余剰となり、当車は1986年11月1日付で新潟へ転出した。新潟ではすぐさま新設されるジョイフルトレイン「サロンエクスプレスアルカディア」の種車となり、形式もキロ59 508となり国鉄最末期の1987年3月25日に出場した。そしてそのままJR東日本へ継承された。当車は登場からわずか1年後の1988年3月30日に上越線で火災事故を起こし、深刻な損傷を受けた。その後は当車は復旧されることなく1989年2月16日付で廃車となった。

「サロンエクスプレスアルカディア」へ改造された際に、「アルコン」に酷似したハイデッカー先頭部へ改造され、前面に種車の面影はない。後位側は一部の窓が埋められ、窓自体も固定化されている以外は比較的原形を保っている。
屋根上は一部クーラーが撤去され換気扇が増設されている。また展望室側は集中式クーラーが設置されるなど、大幅に改造されている。
床下はほぼ原形であるが、後位側に循環式汚物処理タンクを装備している。


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