キハ58 628



1965年4月23日新潟鉄工製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で函館運転所へ配置された。同一ロット628・629両車が函館へ配置されている。函館へは北海道夏季輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後の1965年9月21日付で盛岡へ正式配置されている。同時期に617〜629が一挙に盛岡に新製配置されている。盛岡では東北本線の幹線急行で使用された。1972年には急行「しらゆき」の冷房化が行われ、その種車に選ばれ、同年中に冷房化された。そして「しらゆき」に投入すべく、1973年10月1日付で秋田へ転出した。秋田では東北新幹線開業に伴う「57-11改正」で急行「しらゆき」「おが」が廃止となることから、当車は地方急行の冷房化に回り、11月15日付で山形機関区へ移動となった。山形では急行「べにばな」「月山」「もがみ」等で使用された。その後国鉄末期にかけ山形地区では急行の削減が行われるが、当車は引き続き山形に残留し、最後まで残った急行「月山」で使用された。その後は1984年1月28日付で秋田へ戻り、急行「むつ」で使用されたが、「60-3改正」で廃止されたことから1985年3月14日付で盛岡へ転出し、急行「陸中」の冷房化に使用された。そして1987年3月には盛岡色へ変更され、そのままJR東日本に継承された。JR化後も引き続き急行「陸中」で使用された。1990年よりキハ110系が投入されキハ58系は捻出されたが、当車は引き続き盛岡に留まり、普通列車用となった。但し、盛岡ではキハ58のみの配置であったので冷房は使用できなくなった。1990年3月には機関が新潟製DMF13HZへ換装された。しかしながら、東北本線運用の一部が701系電車化され運用数が減少し、1996年12月24日付で廃車となった。

前面は、国鉄時代の土崎で前面補強が施工されておいる。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが、手すりの位置は変わっておらず秋田地区の標準形態。デフロスタは運転席側に設置されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンも原形のシャッター式である。放送用ジャンパ受栓は盛岡地区標準の、ステップ上部へ移設されている。制御用ジャンパ線受及び冷房電源ジャンパ線受は、初期冷房車の位置にあり、KE7の位置が低い。正面窓上の通風口は、助手席側のみ撤去されている。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。。
側面は、当地区では側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。JR東日本のエンジン換装車共通で、側面の機関冷却水給水口が埋められている。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、鉄板で塞がれている。
床下では、機関は、新潟鉄工製のDMF13HZへ換装されている。油タンクは末期のJR東日本標準の、角型のものに交換されている。国鉄時代より汚物処理装置を装備している。スノープロウは複線用を取り付けている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る