キハ58 634



1965年5月8日新潟鉄工製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で新潟運転所へ配置された。同一ロット632〜635全車が新潟へ配置されている。新潟では急行「赤倉」をはじめ、「越後」「羽越」「いいで」「うおの」等で使用された。「57-11改正」で新潟地区の急行が大幅削減された後はキハ55系に代わり磐越西線・米坂線の普通列車で主に使用された。「59-2改正」では細々と残った急行「べにばな」「あがの」も縮小され、当車は、1984年3月16日付で盛岡へ転出した。その後「60-3改正」では急行「陸中」の冷房化のため山形・秋田から冷房キハ58が転入し、当車は入れ替わりで1985年3月18日付で秋田へ転出した。秋田では男鹿線や田沢湖線で使用されたが、「61-11改正」に伴う車両入れ替えに伴い1986年10月29日付で弘前へ転出し、そのままJR東日本へ継承された。JR化後は主に五能線・花輪線のローカル輸送に使用され、1990年10月には機関が新潟製DMF13HZへ換装され、同時期に塗装も弘前色へ変更された。1994年には、奥羽本線内普通列車の701系電車化と、花輪線運用の秋田への統合により弘前のキハ58系は消滅し、当車は書類上一旦1994年12月3日付で秋田へ転属する。1995年1月の阪神淡路大震災で東海道本線が普通になった際、播但線経由の臨時列車運転のため一時期JR西日本福知山運転所へ貸し出され、前記の臨時快速や急行「丹後」「但馬」で使用され異彩を放った。復興後は秋田へ戻るが使用されることは無く、そのまま1995年12月28日付で廃車となった。

前面は、前面補強未施工である。ワイパーは強化型のWP50に更新され、それに伴い手すりが若干下がっているのは、新潟地区の標準スタイルである。正面窓上の通風口・水切りは原型のままである。タイフォンカバーは新潟時代は竹槍状の筒を装備していたが、秋田へ転出した際にスリット式へ改造されている。テールライトは外ばめ式に改造されている。
側面は、ほぼ原形のままであるが、機関換装時に給水口が埋められている。
屋根上は、水タンクが新潟地区特有の平べったいものに交換されている。
床下では、機関が新潟製DMF13HZへ換装されている。スノープロウは単線型を取り付けている。


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