キハ58 640



1965年4月20日富士重工製の第6-4次車で、昭和39年度第3次債務で苗穂機関区へ配置された。同一ロット639〜642のうち、639〜641が苗穂へ配置された。苗穂へは北海道夏季輸送用の仮配置であり、夏季輸送終了後は揃って米子へ正式配置となり、1965年9月26日付で米子へ転出した。米子では山陰本線系の急行で使用され、急行「だいせん」「伯耆」等で使用された。1969年に冷房化されたものと思われる。山陰地区は近代化が遅れ、晩年まで車両の動きも少なかった。国鉄末期の「61-11改正」では、急行「だいせん」廃止に伴い状態の良い当車は引き続き急行「砂丘」「但馬」で使用することとなり、1986年11月1日付で鳥取へ転出し、そのままJR西日本に継承された。鳥取では引き続き山陰本線の快速や急行「砂丘」で使用された。急行廃止後も引き続き快速列車に使用されるが、キハ126系投入による車両の入れ替えや運用の見直しにより余剰となり、2002年10月25日付で廃車となった。奇しくも、途中で生き別れ、小牛田に移っていた兄弟の641と、わずか2週間違いでの廃車であった。

外観は、米子地区の特徴を色濃く残している。
前面は、正面窓上の通風口及び水切りが撤去されている。後藤工場標準形態の前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパは、原型のままステップの下にある。タイフォンカバーは当次車標準のシャッター付きで落成しており、最後までシャッター付きである。テールライトは原型の内ばめである。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは山陰地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、原型のままである。
屋根上は全ての通風器がハーフガーランド形へ変更されており、屋根上の水タンクは金沢地区に端を発する角型のものに交換されている。
床下機器はほぼ原型である。


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