キハ58 642



1965年4月20日富士重工製の第6-4次車で、昭和39年度第3次債務で函館運転所へ配置された。同一ロット639〜642のうち、当車のみ函館へ配置された。函館へは北海道夏季輸送用の仮配置であり、夏季輸送終了後は本州へ戻ることになり、1965年9月17日付で福知山へ正式配置された。福知山へは初のキハ58新製配置であった。福知山では急行「丹波」「丹後」等で長く活躍し、1970代中盤に冷房化されたものと思われる。国鉄末期まで福知山で活躍したが、「61-11改正」で福知山線電化により急行「丹波」が全廃された際に余剰となり、当車は紀勢東線の普通列車体質改善のため11月3日付で伊勢へ転属した。そしてそのままJR東海に継承された。JR化後は紀勢本線・参宮線で活躍したが、JR東海では1989年3月改正でキハ11を大量投入により老朽気動車の淘汰を早くも実施し、当車は比較的後期車ながら1989年9月7日付で廃車となった。

外観は、福知山地区の特徴を色濃く残している。
前面は、福知山由来の後藤工場タイプの前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパ受栓は、福知山・豊岡地区特徴の、タイフォンの上部付近へ移設されている。タイフォンカバーは新製時よりシャッター式である。テールライトは原形の内ばめ式である。なお当車は伊勢時代に種別表示幕の横に携帯式列車無線アンテナ挿しが設置されており、JR化初期の伊勢・亀山・中込配置経歴車の特徴である。
側面はほぼ原形のままである。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無い。
床下も、ほぼ原形である。


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