キハ58 643



1965年4月28日富士重工製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で釧路機関区に新製配置された。同ロットの643〜645の3両のうち、643・644は北海道夏季輸送に使用の後山陰地区へ正式配置され、当車は釧路函館へ新製配置の後9月24日浜田に配置された。浜田では山陰本線の急行「だいせん」を筆頭に、「石見」等に使用された。1969年度には受持ち変更等の理由で米子へ転出した。米子では引き続き急行「だいせん」をはじめ、山陰本線の急行で長らく使用されたが、予算の関係からか当車は冷房化されず非冷房のままであった。1980年には急行「きのくに」の一部特急格上げにより余剰となった冷房車が和歌山から米子へ転入し、当車は玉突きで1980年10月15日付で亀山へ転出し、キハ55系に代わり関西本線・信楽線・紀勢本線・名松線などの勾配路線で使用されるようになった。「60-3改正」では急行「きのくに」の廃止により冷房車が大量に和歌山から転入し、その際の車両整理で当車は他区で活用されることになり、小海線のキハ57を置き換えるため1986年3月7日付で中込へ転出した。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き小海線で使用されたが、1991年より小海線にキハ110系が新製投入され余剰となり、1993年9月27日付で廃車となった。廃車後はサハリンに譲渡された。

外観は、非冷房車ながら後藤工場の影響を強く残し、珍しい車であった。
前面は、正面窓上の通風口が残存している。前面補強は後藤工場タイプであり、米子出身であることが判別できる。制御ジャンパ受栓位置や足掛けの位置も非冷房車ながら後藤工場標準で特異な存在であった。運転席窓下の手すりは、運転席側がワイパーのWP50化により短くなっており、後藤工場の標準。デフロスタは運転席側のみに付いている。テールライトは内ばめ式のままである。タイフォンカバーは、原形のシャッター式のままである。なお当車は中込時代に種別表示幕の横に携帯式列車無線アンテナ挿しが設置されており、JR化初期の伊勢・亀山・中込配置経歴車の特徴である。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が残存している。また当車は中込時代に、車体中央部の5枚目と6枚目の客室窓間下にサボ挿しが取り付けられている。
屋根上は、ほぼ原形のままである。
床下も、ほぼ原形である。


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