キハ58 644



1965年4月28日富士重工製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で釧路機関区に新製配置された。同ロットの643〜645の3両のうち、643・644は北海道夏季輸送に使用の後山陰地区へ正式配置され、当車は釧路へ新製配置の後9月12日が浜田に配置された。浜田では山陰本線の急行「だいせん」を筆頭に、「石見」等に使用された。1969年度には受持ち変更等の理由で米子へ転出し、1970年頃には冷房化された。米子では引き続き急行「だいせん」をはじめ、山陰本線の急行で長らく使用された。国鉄末期の「61-11改正」では福知山線電化に伴う山陰地区大幅見直しにより、急行「だいせん」は廃止され、当車は新潟地区の若番冷房車を置き換えるべく、1986年10月31日付で新潟運転所へ転出し、そのままJR東日本へ継承された。JR化後は冷房車であり主に快速「べにばな」「あがの」で使用された。1991年11月1日には組織改正で新津運輸区担当となるが運用の実態は変わらなかった。また1991年8月にはカミンズ製DMF14HZへ機関換装されると共に車両更新された。前後して「新潟色」へ塗装変更されている。1993〜1994年には快速「あがの」にキハ110系が投入されキハ58系は縮小の一途を辿るが、当車は冷房更新車であり、引き続き快速「べにばな」で使用された。しかしながら1997年10月には、飯山線のキハ110系化により捻出されたキハ52が新津へ転出し、非冷房車ながら両運転台車であることから重宝され、代わりに冷房キハ58が淘汰されていった。当車も1998年9月30日付で廃車となった。

前面は、正面窓上の通風口が埋められている。前面補強は後藤工場タイプであり、米子出身であることが判別できる。制御ジャンパ受栓位置や足掛けの位置も後藤工場標準。運転席窓下の手すりは、運転席側がワイパーのWP50化により短くなっており、後藤工場の標準。デフロスタは助手席側にも追加され、両側に付いているのは新潟地区の標準である。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されているが、これは新津に異動してからの改造である。タイフォンカバーは、後期の新潟タイプで下半分がメッシュ状の筒をかぶせたものとなっており、後藤工場顔と新潟タイフォンが同居した独特の形態であった。
側面では、乗降ドアが交換され、金属押さえ窓、ドア隅の小窓無し、タブレット保護柵用の窪み無しである。また、乗務員室ドアも交換され、ドアノブが、窪みの中に収まっている。また乗務員室ドア下部に、小手すりが追加されている。また、客室・常務員共にドア下のくつずり部がステンレスに交換されている。また、当地区では側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されているが、これも他地域と比べ窓半分後位側へずれている。そのため、サボの位置とナンバーの位置がずれている。(他地域のものは、前位側から5枚目の客室窓下にあるが、当車は前位側から5枚目と6枚目の間にある) 客室扉戸袋部の点検蓋はキハ40系のような形状に更新されている。乗務員室ドア後部にあったタブレット保護板は撤去されている。JR東日本のエンジン換装車共通で、側面の機関冷却水給水口が埋められている。洗面所側は、洗面所が撤去されたのに伴いガラスが通常の透明ガラスに交換され、また臭気抜き窓が撤去されている。汚物処理装置取り付けの準備工事のみ行われ、側面には点検蓋が設けられている。
屋根上は水タンクが新潟地区に多く見られる、扁平した形状のものに交換されている。
床下では、単線用スノープロウを付けており、新津での施工である。エンジンは、防火対策・車両更新の際にカミンズ製DMF14HZへ交換されている。


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