キハ58 649



1965年6月18日富士重工製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で広島気動車区へ配置された。同一ロット649〜651では当車のみが広島へ配置されている。広島では前ロットの647・648と共に主に九州直通急行「青島」で使用され、幹線急行であることから比較的早期の1969年に冷房化された。1975年には山陽新幹線開業で急行「青島」は廃止されるが、引き続き広島運転所に残留し主に芸備線系統の急行「ちどり」等で長く使用された。一時期需給の関係で隣の岩国へ移動したことがあり、1983年2月17日付で岩国へ転出し、1984年2月1日で岩国区廃止により広島へ統合されている。国鉄末期の「60-3改正」では「ちどり」が大幅削減され余剰となり、当車は汚物処理装置付きであったことから1985年2月26日付で高松へ転出した。高松へは、車齢が高く特殊装備で使いづらいキハ57の淘汰のための転出であった。高松では徳島地区を除く四国全域で急行列車で使用され、そのままJR四国へ継承された。JR化後は特急の増発で若干余剰気味となっていたが、瀬戸大橋線開業に伴う波動用車両の種車に選ばれ、「レインボー」として1988年3月17日付で改造された。改造後は四国内の他瀬戸大橋線を渡り本州に向かう団体・臨時列車等でも使用された。しかし1990年には振子特急2000系が新製投入されると老朽化した改造車では見劣りするようになり、また高松の急行型配置が無くなることから1990年11月21日付で高知へ転出した。高知では細々と波動輸送に使用される他、時には普通列車として使用されることもあった。しかし特殊内装で使いづらいことから1000型が高知へ配置されると真っ先に淘汰対象となり、1992年3月31日付で廃車となった。

前面補強が施工されているが、小倉もしくは幡生施工と思われる。ワイパーは強化型のWP50へ改造されており、それに伴い運転室窓下の手すりが左右に2本分かれた大変珍しい形態である。すなわちワイパーの貫通扉寄りには関西・山陰地区のような小手すりが取り付けられ、更にワイパーの外側にも極小の手すりが設けられている。この形態は292と649の2両のみである。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は、タイフォンの左右に設置されている。放送ジャンパ受栓は、ステップ一体型となっている。タイフォンカバーは、スリット状カバーへ改造されている。正面窓上の通風口・雨どいは原形のままである。
側面では、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋が設けられている。また「レインボー」に改造された際、前位寄りの助手席側側面の窓が1枚埋められている。
屋根上は冷房車の標準形態で特に目立つ点はない。
床下では、後位側に、汚物処理タンクが設置されている。それ以外は概ね原形である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る