キハ58 651



1965年6月18日富士重工製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で千葉気動車区へ配置された仲間の1両。同一ロットでは651が同日に千葉へ配置されている。千葉は夏季海水浴輸送の仮配置であり、夏季輸送終了後9月11日付で本来の配置区である浜田機関区へ兄弟の651とともに異動した。浜田では急行「だいせん」「石見」等の急行列車に使用されたが、予算の関係からか当車は冷房化されず非冷房のままであった。1980年には急行「きのくに」の一部特急格上げにより余剰となった冷房車が和歌山から浜田へ転入し、当車は玉突きで1980年10月15日付で亀山へ転出し、キハ55系に代わり関西本線・信楽線・紀勢本線・名松線などの勾配路線で使用されるようになった。「60-3改正」では急行「きのくに」の廃止により冷房車が大量に和歌山から転入し、その際の車両整理で当車は他区で活用されることになり、飯山線のキハ55を置き換えるため1986年3月7日付で中込長野へ転出した。その後「61-11改正」で有効「野沢」が廃止され1986年11月に中込へ転出し、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き小海線で使用されたが、1991年より小海線にキハ110系が新製投入され余剰となり、1993年9月27日付で廃車となった。廃車後はサハリンに譲渡された。

外観は、非冷房車ながら名古屋工場の影響を強く残し、珍しい車であった。
前面は、正面窓上の通風口が残存している。前面補強は亀山時代に名古屋工場で施工されており、珍しい形態。制御ジャンパ受栓位置や足掛けの位置は非冷房車ながら名古屋工場標準で特異な存在であった。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋工場の特徴である。デフロスタは運転席側のみに付いている。テールライトは内ばめ式のままである。タイフォンカバーは、原形のシャッター式のままである。なお当車は中込時代に種別表示幕の横に携帯式列車無線アンテナ挿しが設置されており、JR化初期の伊勢・亀山・中込配置経歴車の特徴である。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が鉄板で塞がれている。また当車は中込時代に、車体中央部の5枚目と6枚目の客室窓間下にサボ挿しが取り付けられている。
屋根上は、ほぼ原形のままである。
床下も、ほぼ原形である。


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