キハ58 652



1965年6月30日富士重工製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で千葉気動車区へ配置された。同一ロット652〜654のうち、652・653が千葉へ配置されている。千葉は夏季海水浴輸送の仮配置であり、夏季輸送終了後9月12日付で本来の配置区である浜田機関区へ兄弟の653とともに異動した。浜田では急行「だいせん」等の急行列車に使用された。1969年には米子との間で車両交換があり、同年に米子へ転出した。1970年代中盤、米子時代に冷房化されたものと思われる。当車はキハ58系急行「だいせん」の末期まで山陰地区に在籍し、国鉄末期の山陰本線急行縮小後も引き続き米子配置でローカル輸送に転用され、そのままJR西日本へ継承された。JR化後はキハ58系の配置を鳥取へ集約する傾向があり、1988年3月13日付で鳥取へ転出した。鳥取では引き続き山陰本線の快速や急行「砂丘」で使用された。急行「砂丘」のアコモ改造後は1994年12月3日付で米子へ移動し、山陰本線快速列車に使用される。1997年3月8日には組織改正で後藤総合車両所と名前を変えるが実態は同じであった。その後はキハ126系投入による車両の入れ替えや運用の見直しにより余剰となり、2002年8月31日付で廃車となった。

外観は、米子地区の特徴を色濃く残している。
前面は、正面窓上の通風口及び水切りが撤去されている。後藤工場標準形態の前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパは、原形のままステップの下にある。タイフォンカバーは当次車標準のシャッター付きで落成しており、最後までシャッター付きである。テールライトは原形の内ばめである。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは山陰地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、原形のままである。
屋根上は全ての通風器がハーフガーランド形へ変更されており、屋根上の水タンクは金沢地区に端を発する角型のものに交換されている。
床下機器はほぼ原形である。


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