キハ58 657



九州最後の普通列車用キハ58系として活躍したうちの1両。

1965年11月2日新潟鉄工製の6-5次車で、昭和39年度第一次民有で新潟機関区へ配置された仲間の1両。同一ロットでは655〜658が同日に新潟へ配置されている。新潟では急行「赤倉」「いいで」「羽越」等で使用されたが、1971年度に新潟地区で一部所要減となり、当車は658及び次ロットの659とともに九州へ移ることとなり、1971年5月31日付で竹下機関区へ移動した。移動後同年度中に冷房化改造されたものと思われる。竹下では長崎本線系統の急行列車で使用され、電化による急行廃止後は九州北部・筑豊地区でのローカル輸送に使用された。そのままJR化を迎える。1989年3月24日には近郊化及び九州色への変更が行われ、ローカル専属となった。1991年3月16日には竹下区廃止直方統合により直方気動車区へ移動するが、引き続き九州北部・筑豊で普通列車に使用された。1998年10月28日には日田彦山線用ワンマン化され、当線で主に使用されるようになる。ワンマン化も束の間、日田彦山線はキハ147で統一されることになり、交換で2001年10月6日付で鹿児島へ転出することになる。鹿児島では肥薩線・吉都線・指宿枕崎線のワンマン運用で使用された。これと前後し、当車は2000年以降引き続き当面使用する車両となり、2001年2月28日付で汚物処理装置の取り付けが行われた。その後2006年6月〜7月にキハ220形が大分に新製配置されたのを機に車両の大幅な転配が行われ、鹿児島地区のキハ58系ワンマン車は捻出されたキハ40系に置き換えられ用途廃止となり2007年11月28日付で廃車となった。

外観は、鋼体自体は原形をよく保っているが、九州特有の改造や特殊塗装により、原形からは随分雰囲気が変わっている。前述のとおり冷房化年月日は不明であるが、おそらく1971年度であると思われる。
前面は、前面補強が未施工となっている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側テールライトの右へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の雨どい及び通風口は最後まで残置されており、末期の鹿児島地区では珍しい。また、鹿児島地区では降灰の関係上デフロスタを装備している。筑豊篠栗から鹿児島への移動が比較的遅かったためか、貫通扉のヘッドマークステイは取り付けられていない。また、Hゴムは白のままである。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。近郊化改造が施工されているので、洗面所が撤去されており、当該箇所の臭気抜き窓がなくなっている。乗降ドア点検蓋は、後期車標準の横長のタイプとなっている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。当ロットでは新製時より乗務員室窓バランサー点検蓋が付いているが、当車はそれを埋めたうえで新たに点検蓋が設けられている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているが、助手席側のみの、変形車。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。また九州では例の少ない角型の燃料タンクへ変更されている。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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