キハ58 663



1965年11月15日新潟鉄工製の6-5次車で、昭和40年度第1次民有で秋田機関区へ配置された仲間の1両。同一ロット663・664両車とも秋田へ配置されている。秋田では急行「おが」「羽越」等の奥羽本線・羽越本線の幹線急行で使用され、青森運転所のキハ58系が移管された1972年以降は急行「しらゆき」で遠く金沢まで顔を出した。東北新幹線開業の「57-11改正」で急行が廃止され、当車は1982年11月19日付で盛岡へ転出した。盛岡では釜石線内のみとなった急行「陸中」や、キハ55に代わり田沢湖・釜石・山田・花輪線の普通列車で使用された。1985年より急行「陸中」にも冷房車が入るようになり、当車は専らローカル用となり、そのままJR東日本へ継承された。JR化後は1988年12月付で盛岡色へ変更され引き続き前記路線の普通列車で使用されたが、1990年より始まったキハ110系投入により余剰となり、当車は機関換装されることなく1993年9月27日付で廃車となった。廃車後はサハリンへ譲渡された。

前面は、正面窓上の通風口が両方とも撤去されている。前面補強は施工されていない。ワイパーは強化型のWP50に更新されているが、手すりの位置は変わっておらず、土崎工場の標準スタイルである。タイフォンカバーは新製時からのシャッター付である。テールライトは後期車のように外ばめ式に改造されている。放送用ジャンパ受栓は、盛岡地区標準の、ステップ上部へ移設されている。デフロスタは、運転席側のみに付いている。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
屋根上は、ほぼ原形のままである。
側面は乗降ドア下部の丸窓が鉄板で塞がれている。秋田時代に汚物処理装置が取り付けられており、その名残で点検蓋が側面に設けられている。
床下では、スノープロウは単線用を取り付けている。秋田時代に汚物処理装置を取り付けていたが、盛岡転入後撤去され元に戻されている。


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