キハ58 667



1965年11月30日新潟鉄工製の第6-5次車で、昭和40年度第1次民有で米子運転所へ配置された。同一ロットの667〜670全車が米子へ配置された。米子では山陰本線系の急行で使用され、急行「だいせん」「伯耆」等で使用された。1968年6月28日に簡易冷房車に改造されたが、1974年2月18日に通常の冷房車に再改造された。当車はキハ58系急行「だいせん」の末期まで山陰地区に在籍し、国鉄末期の山陰本線急行縮小後も引き続き米子配置でローカル輸送に転用され、そのままJR西日本へ継承された。JR化後はキハ58系の配置を鳥取へ集約する傾向があり、1988年3月13日付で鳥取へ転出した。鳥取では引き続き山陰本線の快速や急行「砂丘」で使用されたが、運用の都合で1990年度中に再び米子へ移動し、山陰本線快速列車に使用される。1997年3月8日には組織改正で後藤総合車両所と名前を変えるが実態は同じであった。その後はキハ126系投入による車両の入れ替えや運用の見直しにより余剰となり、2002年8月31日付で廃車となった。

外観は、米子地区の特徴を色濃く残しているが、晩年の改造工事を施工していない。
前面は、正面窓上の通風口及び水切り原形のままである。後藤工場標準形態の前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパは、原型のままステップの下にある。タイフォンカバーは最後までシャッター付きである。テールライトは原型の内ばめである。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは山陰地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、原型のままである。
屋根上は後年の米子地区では少なくなった、冷房改造車標準の形態をしている。文献によると、簡易冷房車の量産化改造車は、クーラーの間隔が量産冷房車と異なるとされているが、末期の姿を見る限り、クーラーの間隔は量産車と同じである。
床下機器はほぼ原型である。


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