キハ58 669 → キハ58 7211



急行「砂丘」用として使用された後、急行「つやま」で最後まで残った車両のうちの1両。

1965年11月30日新潟鉄工製の第6-5次車で、昭和40年度第1次民有で米子運転所へ配置された。同一ロットの667〜670全車が米子へ配置された。米子では山陰本線系の急行で使用され、急行「だいせん」「伯耆」等で使用された。1968年5月24日に簡易冷房車に改造されたが、1972年6月16日に通常の冷房車に再改造された。1971年度に運用持ち替えで鳥取へ移動したが、引き続き山陰本線の急行「但馬」「白兎」等で使用された。国鉄末期の急行削減後もある程度の急行は残り、更に余剰車は都市間快速や客車置き換えで普通列車に使用され、同一ロットの仲間と共に鳥取配置のままJR西日本に継承された。JR化後の鳥取では山陰本線の快速や急行「砂丘」で使用されたが、砂丘のグレードアップを行う際に抜擢され、1992年12月29日付けでリクライニングシート化・塗装変更・延命工事を施工し、車号もキハ58 7211へ変更された。急行「砂丘」は線形の悪い津山線・因美線を走行しスピードアップが困難であったことから、1997年のダイヤ改正で智頭急行経由の特急「いなば」が新設されることになり、1997年11月29日で急行「砂丘:は廃止された。しかし岡山〜津山間の都市間輸送は残ることから当車は同日付で津山鉄道部へ転出し、新設される急行「つやま」で活躍を開始した。1999年10月2日には津山鉄道部から車両配置が無くなり、岡山気動車区へ変更されたが運用の実態は変わらなかった。しかし車両の老朽化が進んだことから、2004年中に山口から転入したキハ48に置き換わり、2005年3月18日付で廃車となった。

前面は、延命工事時に正面窓上の通風口が埋められているが、水切りは残っていた。後藤工場標準形態の前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパは、原型のままステップの下にある。タイフォンカバーは最後までシャッター付きである。テールライトは原型の内ばめである。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは山陰地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、原型のままである。
屋根上は延命工事時に全ての通風器がハーフガーランド形へ変更されており、屋根上の水タンクは金沢地区に端を発する角型のものに交換されているのは、延命工事施工車の特徴である。AU13クーラーは、ルーバーがメッシュタイプとスリットタイプが混在している。文献によると、簡易冷房車の量産化改造車は、クーラーの間隔が量産冷房車と異なるとされているが、末期の姿を見る限り、クーラーの間隔は量産車と同じである。
床下機器はほぼ原型である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る