キハ58 670



1965年11月30日新潟鉄工製の第6-5次車で、昭和40年度第1次民有で米子運転所へ配置された。同一ロットの667〜670全車が米子へ配置された。米子では山陰本線系の急行で使用され、急行「だいせん」「伯耆」等で使用された。1969年には一部運用変更で鳥取へ移動し、1970年頃には冷房化された。鳥取では、「だいせん」「白兎」「砂丘」等、山陰本線の急行を中心に使用された。国鉄末期の急行削減後もある程度の急行は残り、更に余剰車は都市間快速や客車置き換えで普通列車に使用され、同一ロットの仲間と共に鳥取配置のままJR西日本に継承された。JR化後の鳥取では山陰本線の快速や急行「砂丘」で使用されたが、運用の都合で1990年3月10日に再び米子へ移動し、山陰本線快速列車に使用される。1997年3月8日には組織改正で後藤総合車両所と名前を変えるが実態は同じであった。その後はキハ126系投入による車両の入れ替えや運用の見直しにより余剰となり、2002年8月31日付で廃車となった。

外観は、米子地区の特徴を色濃く残している。
前面は、正面窓上の通風口が撤去されているが、水切りは残存している。後藤工場標準形態の前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパは、原型のままステップの下にある。タイフォンカバーは最後までシャッター付きである。テールライトは原型の内ばめである。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは山陰地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、原型のままである。
屋根上は全ての通風器がハーフガーランド形へ変更されており、屋根上の水タンクは金沢地区に端を発する角型のものに交換されている。
床下機器はほぼ原型である。


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