キハ58 672



1965年12月9日新潟鉄工製の6-5次車で、昭和40年度1次民有で青森運転所へ配置された。同一ロット671〜674のうち、671〜673が青森へ配置されている。青森では奥羽本線の急行「しらゆき」などを中心に使用されたが、耐寒仕様の1500番台が1967年に投入されると早くも置き換えられ、当車は関西本線の急行「かすが」用として1968年3月12日付で奈良機関区へ転出する。1973年の関西本線電化により運用変更と奈良区からの急行型撤退により、1973年10月1日付で和歌山機関区へ転出する。以降は急行「きのくに」を始めとして紀伊半島全域で活躍するようになる。和歌山移動後の1975年頃に冷房化されたものと思われる。その後1980年3月3日付で、一部急行の受持ち分担が行われ、当車は急行「かすが」用に再び奈良区へ転出する。1984年10月1日の奈良線電化により奈良機関区の気動車配置が廃止され、当車は9月30日付で亀山機関区へ移動した。亀山では関西本線・片町線・信楽線で使用されたが、国鉄最後の「61-11改正」時に、当車は紀勢本線用としてJR東海に継承されることから1986年11月1日付で伊勢へ転出し、そのままJR東海へ継承された。JR化後は紀勢本線・参宮線で活躍したが、JR東海では1989年3月改正でキハ11を大量投入により老朽気動車の淘汰を早くも実施し、当車は比較的後期車ながら1989年8月24日付で廃車となった。

当車は和歌山時代の面影を色濃く残している。
前面は、和歌山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。制御用ジャンパ受栓は、左右離れた位置に設置されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の、タイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは当初からシャッター付きで落成しており、そのまま最後までシャッター付きであった。テールライトは内ばめ式のままである。正面窓上の通風口・水切りは原形のままである。なお当車は亀山時代に種別表示幕の横に携帯式列車無線アンテナ挿しが設置されており、JR化初期の伊勢・亀山・中込配置経歴車の特徴である。
側面は、ほぼ原形である。
屋根上は、冷房化後手を加えられておらず標準的な冷房車の形態である。
床下機器はほぼ原形である。


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