キハ58 676



1965年12月10日富士重工製の第6-5次車で、昭和40年度第1次民有で米子運転所へ配置された。同一ロットの675〜680のうち、675〜677が米子へ配置された。米子では山陰本線系の急行で使用され、急行「だいせん」「伯耆」等で使用された。1970年頃には冷房化され、1972年度には一部運用変更で鳥取へ移動した。鳥取では、「だいせん」「白兎」「砂丘」等、山陰本線の急行を中心に使用された。国鉄末期の急行削減時に、兄弟の675・677は中込へ転出してしまうが、当車は鳥取配置のままJR西日本に継承された。JR化後の鳥取では山陰本線の快速や急行「砂丘」で使用されたが、運用の都合で1990年3月10日付で再び米子へ移動し、山陰本線快速列車に使用される。1997年3月8日には組織改正で後藤総合車両所と名前を変えるが実態は同じであった。その後は1999年に舞鶴線電化により福知山からキハ47が転入したことにより余剰となり、2000年3月31日付で廃車となった。

外観は、米子地区の特徴を色濃く残している。
前面は、正面窓上の通風口が撤去されている。水切りは正面部のみ撤去され、側面部は残存しているという異端車。後藤工場標準形態の前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパは、ステップの下にあるが台座の形状が他ロットと異なる。タイフォンカバーは最後までシャッター付きである。テールライトは原型の内ばめである。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは山陰地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、原型のままである。
屋根上は全ての通風器がハーフガーランド形へ変更されており、屋根上の水タンクは金沢地区に端を発する角型のものに交換されている。
床下機器はほぼ原型である。


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