キハ58 679 → キハ58 5514




1965年12月10日富士重工製の第6-5次車で、昭和40年度第1次民有で美濃太田機関区へ配置された。同一ロットの675〜680のうち、678〜680が美濃太田へ配置された。美濃太田では急行「のりくら」を中心に高山本線で活躍した。1972年には循環急行「しろがね」「こがね」が系統分離により廃止となり、当車は1972年6月30日付けで長野へ転出した。長野では急行「きそ」をはじめ「ちくま」等で活躍したが、1973年の特急「しなの」増発時に余剰となり、小浜線急行の体質改善のため、1973年7月4日で敦賀へ転出した。敦賀には非冷房のキハ58系が集まっていたが、1980年には完全冷房化することになり、1979年度に冷房化された。敦賀では急行「わかさ」「はしだて」で使用され、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は1987年度に近郊化改造され普通列車専属となり、1989年3月6日付けで小浜色へ塗装変更された。また1990年度末頃には七尾との間で車両交換があり、小浜色のまま七尾へ転出した。しかし1991年7月には七尾線和倉電化、七尾以遠の第三セクター化による車両転配で余剰となり、播但線の客車列車置き換えに活用されることになり、1992年1月31日付でロングシート化の上キハ58 5514へ改造された。その後は姫新線・播但線の普通列車で使用され、1994年4月28日に「姫路色」へ変更された。しかしながら、需要の旺盛な播但線は電化されることになり、1998年3月14日ダイヤ改正で電化のため姫路のキハ58系は全て余剰となった。そして当車は1999年4月19日付で廃車となった。

外観は金沢局時代の形態を色濃く残している。
前面は、金沢時代に前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが撤去されており、金沢標準の形態である。また当車は助手席側の窓下手すりも撤去されており、非常に珍しいスタイルである。タイフォンはシャッター式のままとなっている。テールライトは、両側とも原型の内ばめ式のままである。制御用KE53ジャンパ受栓は左右離れた位置に配置されている。放送用ジャンパ受栓は、ステップ一体型である。正面窓上の水切りは撤去されている。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去されている。運転席側バランサー点検蓋は追設されており、金沢局に多く見られる上下2箇所開口となっている。乗降扉下部隅の丸窓は残存している。
屋根上は、通風器は冷房車標準の押し込み型である。また水タンクは敦賀時代の平べったい形状のものに更新されている。
床下は、ほぼ原型である。


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