キハ58 684



1966年1月11日富士重工製の6-5次車で、昭和40年度第1次民有で和歌山へ配置された。同一ロット684〜686全車が和歌山へ配置された。和歌山では紀勢本線の急行「きのくに」で活躍した。和歌山時代の1970年5月に冷房化された。1980年3月3日付で、一部急行の受持ち分担が行われ、当車は急行「かすが」用に奈良区へ転出する。1984年10月1日の奈良線電化により奈良機関区の気動車配置が廃止され、当車は9月30日付で亀山機関区へ移動した。亀山では引き続き急行「かすが」の他、他車とともに関西本線・紀勢本線系の普通列車で使用されるようになった。JR化の際はJR西日本に継承されることになり、そのまま亀山配置のまま継承された。JR化後すぐの信楽線廃止・1989年3月の片町線電化後も残り、関西本線で使用された。関西本線は1990年よりワンマン化されるようになり、当車も1990年2月22日付でワンマン化された。しかし関西本線はキハ120系化されることになり、捻出された当車はキハ45系の置き換えのため1994年12月3日付けで小郡へ転出した。小郡転出後は黄色ベースの「広島普通色」へ変更され、ワンマン設備も撤去された。1995年10月1日には組織改正で山口鉄道部となったが運用は変わらない。しかし1990年代後半降各地からキハ40系が転入し、当車は老朽化のため1999年8月9日付で廃車となった。

前面は、和歌山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の位置に移設されている。タイフォンカバーは当初からシャッター付きで落成しており、そのまま最後までシャッター付きであった。テールライトは内ばめ式のままである。正面窓上の通風口・水切りは原型のままである。種別表示幕の横に、列車無線アンテナを挿す筒が設置されており、これは亀山配置車の名残であった。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっている。運転室窓のバランサー点検蓋は、後期車の新製時からの蓋が設置されている。広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。亀山ワンマン時代の車外スピーカーはそのまま残されている。
屋根上は、通風器が全て断面5角形のは小型ベンチレーターに交換されている。その他は標準的な冷房車の形態である。
床下は、ほぼ原型である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る