キハ58 686 → キハ58 7301



1966年1月11日富士重工製の6-5次車で、昭和40年度第1次民有で和歌山へ配置された。同一ロット684〜686全車が和歌山へ配置された。和歌山では紀勢本線の急行「きのくに」で長く活躍した。1970年8月に冷房化されている。「60-3改正」では特急「くろしお」増発で急行「きのくに」は全廃となり、1985年3月12日付で豊岡へ転出した。これは、豊岡には車齢の高い若番車や非冷房車が集まっていたため、これを置き換えるためである。国鉄最後の「61-11改正」で福知山線が電化され、豊岡配置車は大幅に入れ替えとなったが、当車は後期車でありそのまま豊岡に留まり急行「丹後」「但馬」や普通列車で使用され、JR西日本へ継承された。JR化後も引き続き急行運用を中心に使用されたが、1991年にキハ65型エーデル北近畿が登場した際に、増結車として当車が選ばれ、1991年12月28日付でキハ58 7301へ改造され福知山へ移動した。福知山ではエーデル北近畿の増結車の他、極まれに一般車と混成で波動用や増結車で使用された。1996年3月16日の山陰本線綾部電化で急行「丹後」は全廃となり、当車を始め福知山の急行用キハ58系は用途を失う。その後は波動用車として引き続き福知山に残り使用された。1999年10月2日の舞鶴線電化で福知山への気動車配置が廃止されることとなり、同日付で全車豊岡へ移動した。しかし転出後間もなく、老朽化と波動輸送縮小で2000年3月31日付で廃車となった。

外観は、和歌山時代の形態を色濃く残している。
前面は、和歌山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。正面窓上の水切りは残存しているが通風口は撤去されている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。制御用KE53ジャンパ受栓は、左右離れた位置に設置されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の位置に移設されている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式のままである。テールライトは内ばめ式から、外ばめ式に改造されている。当車はエーデル増結が主な用途で片栓式となったことから、正面の冷房電源用ジャンパが撤去されている。
側面は、ほぼ原型であるが、後位側に汚物処理装置が設置され、その点検蓋が設置されている。
屋根上は延命・アコモ改造時に全ての通風器がハーフガーランド形へ変更されているが、屋根上の水タンクは原型のままである。AU13クーラーは、ルーバーがメッシュタイプとスリットタイプが混在している。
床下機器はほぼ原型であるが、後位側に汚物処理装置が設置されている。


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