キハ58 687



1966年1月19日富士重工製の6-5次車で、昭和40年度1次民有で鹿児島機関区へ配置された。同一ロット687〜689のうち、687・688が鹿児島へ配置されている。鹿児島では急行「フェニックス」用として配置された。その後も鹿児島本線・日豊本線の幹線急行で使用されたが、山陽新幹線博多開業で九州内急行の大幅見直しが行われた「50-3改正」以降は同じく鹿児島地区でローカル急行や格下げ快速で使用された。「59-2改正」では急行「えびの」用として1984年2月1日付で都城機関区へ転出したが、「60-3改正」「61-3改正」で急行「えびの」の大幅減車が行われ、当車は1986年3月に志布志機関区へ転出しキハ20やキハ26に代わり日南・志布志・大隅線で使用開始した。しかし国鉄末期には志布志・大隅線は廃止となり、志布志機関区も廃止されたことから1987年3月に鹿児島運転所へ戻り、JR九州へ継承された。JR化後は近郊化改造はされなかったが、1988年11月18日付で九州色へ変更されローカル専属となった。その後も指宿枕崎線や日豊本線、肥薩線の普通列車で使用されたが、原形ボックスシートのままであったのが災いし、検査期限の関係からか熊本から転入した若番車の68と交代するように1994年12月19日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。制御用ジャンパ受栓は、九州では珍しく位置がタイフォンに寄っている。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の鹿児島工場標準である、助手席側タイフォンとレールライトの間へ移設されているが、移設以前の、ステップ一体型となった受栓が台枠付近に残っている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。貫通扉には鹿児島時代に快速で使用していたヘッドマーク掛けが残っている。
屋根上は冷房化以降大きな改造はされていない。デッキ上の通風器も現存している。
側面はおおむね原型であるが、400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。
床下はほぼ原形のままである。JR九州標準のスカートが取り付けられたかどうかは不明である。


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