キハ58 688



1966年1月19日富士重工製の6-5次車で、昭和40年度1次民有で鹿児島機関区へ配置された。同一ロット687〜689のうち、687・688が鹿児島へ配置されている。鹿児島では急行「フェニックス」用として配置された。その後も鹿児島本線・日豊本線の幹線急行で使用されたが、山陽新幹線博多開業で九州内急行の大幅見直しが行われた「50-3改正」で、当車は急行「えびの」用としてお隣の都城機関区へ1975年4月10日付で転出した。都城でも長く活躍したが、国鉄末期には急行「えびの」の編成短縮がなされ、当車は鹿児島地区のローカル快速や普通列車で使用すべく、1987年3月中に再び鹿児島へ戻り、そのままJR九州へ継承された。鹿児島では主にローカル輸送に使用され、1988年4月12日付で近郊化及び九州色への変更が行われた。その後は長らく指宿枕崎線等の南九州のローカル運用で使用されたが、1997年にはキハ200系の熊本地区への追加投入による車両の入れ替えがあり、1997年11月19日付けで非ワンマン近郊形の当車は大分へ転出し、大分地区のボックスシート車を淘汰した。大分では豊肥・久大本線で使用され、客車列車の置き換えもありキハ58系は重宝されたが、最後は2001年10月の筑豊・篠栗線電化で大量の気動車が捻出されたことから余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、九州標準の形態である。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の鹿児島工場標準である、助手席側タイフォンとレールライトの間へ移設されているが、移設以前の、ステップ一体型となった受栓が台枠付近に残っており当車の特徴である。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。貫通扉には鹿児島時代に快速で使用していたヘッドマーク掛けが残っている。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であるが、近郊化の際に洗面所が撤去され、この部分の小窓が撤去されている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。

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