キハ58 690 → キハ58 7202



1965年9月16日日本車輌製の6-5次車で、昭和40年度第1次民有で青森運転所へ配置された。同一ロット690〜694のうち、690・691が青森へ配置されている。青森では奥羽本線の幹線急行で使用されたが、1967年度末よりモデルチェンジ型キハ58が盛岡に投入されるのに際し一部キハ58が他区所の増強用に回され、当車は1968年3月12日付で奈良機関区へ兄弟の691と共に転出した。奈良では急行「かすが」に使用されたが、1973年10月1日関西本線奈良電化の際にキハ58系の奈良配置が廃止され、同日付で和歌山へ転出。以降急行「きのくに」を中心に急行「紀州」「かすが」等で使用された。和歌山転出後、1976年頃に冷房化された。「60-3」改正で特急「くろしお」に485系が投入され急行「きのくに」が格上・全廃されるのに伴い、当車は他の仲間と揃って丹波地方へ転出することになり、1985年3月12日付で豊岡機関区へ転出した。これは、豊岡には車齢の高い若番車や非冷房車が集まっていたため、これを置き換えるためである。国鉄最後の「61-11改正」で福知山線が電化され、豊岡配置車は大幅に入れ替えとなったが、当車は後期車でありそのまま豊岡に留まり急行「丹後」「但馬」や普通列車で使用され、JR西日本へ継承された。JR化後も引き続き急行運用を中心に使用され、1992年から開始された急行指定席車のアコモ改造及び延命工事に当車が選ばれ、1992年3月11日付でキハ58 7202へと改造された。1993年3月に豊岡の急行運用は全て福知山へ移管されることから当車も福知山へ転出し、引き続き急行「丹後」指定席車として使用されたが、1996年3月16日の山陰本線綾部電化で急行「丹後」は全廃となり、当車を始め福知山の急行用キハ58系は用途を失う。その後は波動用車として引き続き福知山に残り、臨時列車等で使用された。1999年10月2日の舞鶴線電化で福知山への気動車配置が廃止されることとなり、同日付で全車豊岡へ移動した。前後し波動用として残っていた車両の整理も行われるも、当車は引き続き波動用、特に冬季のカニ輸送臨として残存し、2000年夏頃には新たに設定される臨時列車「いさり火」号の専用車両となり、ラッピングが施された。しかしこの「いさり火」号の運行も2002年で終了し、老朽化のため2002年10月25日付で廃車となった。

外観は、和歌山時代の形態を色濃く残している。
前面は、和歌山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。正面窓上の通風口が撤去されているが、水切りは残存している。運転室側のデフロスタは撤去されている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。制御用KE53ジャンパ受栓は、左右離れた位置に設置され、ステップは運転台側が撤去されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区では珍しく原型のままステップの下にある。タイフォンカバーは、原形のシャッター式のままである。テールライトは内ばめ式から、外ばめ式に改造されている。
側面は、ほぼ原型である。
屋根上は延命・アコモ改造時に全ての通風器がハーフガーランド形へ変更されており、屋根上の水タンクは金沢地区に端を発する角型のものに交換されている。福知山地区ではアコモ改造車のみがハーフガラベン+角型水タンクで、区別しやすかった。AU13クーラーは、ルーバーがメッシュタイプとスリットタイプが混在している。
床下機器はほぼ原型である。


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