キハ58 697



1965年9月22日日本車輌製の6-5次車で、昭和40年度第1次民有で秋田運転区へ配置された。同一ロット695〜699全車が秋田へ配置されている。秋田では奥羽本線・羽越本線の幹線急行で使用されたが、1967年度末よりモデルチェンジ型キハ58が盛岡に投入されるのに際し一部キハ58が他区所の増強用に回され、当車は1968年3月20日付で米子機関区へ転出した。米子では山陰本線系の急行で使用され、急行「だいせん」「伯耆」等で使用された。1970年頃には冷房化され、1974年度には一部運用変更で鳥取へ移動した。鳥取では、「だいせん」「白兎」「砂丘」等、山陰本線の急行を中心に使用された。国鉄末期の急行削減後もある程度の急行は残り、更に余剰車は都市間快速や客車置き換えで普通列車に使用され、同一ロットの698と共に鳥取配置のままJR西日本に継承された。JR化後の鳥取では山陰本線の快速や急行「砂丘」で使用されれ、急行の廃止後も引き続きローカル輸送に使用された。1999年には米子の検査期限切れ車両と交代するため10月2日付で後藤へ転出する。しかし老朽化のため2002年3月31日付で廃車となった。

外観は、米子地区の特徴を色濃く残している。
前面は、正面窓上の通風口が撤去されているが、水切りは残存している。後藤工場標準形態の前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパは、原型のままステップの下にある。タイフォンカバーは最後までシャッター付きである。テールライトは原型の内ばめである。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは山陰地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、原型のままである。
屋根上は全ての通風器がハーフガーランド形へ変更されているが、屋根上の水タンクは原形のままである。AU13クーラーは、ルーバーがメッシュタイプとスリットタイプが混在している。
床下機器はほぼ原型である。


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