キハ58 699



1965年9月22日日本車輌製の6-5次車で、昭和40年度第1次民有で秋田運転区へ配置された。同一ロット695〜699全車が秋田へ配置されている。秋田では奥羽本線・羽越本線の幹線急行で使用された。1967年度末に車両入れ替えで同ロットの他の仲間は軒並み関西・山陰地区へ転出するが、当車は引き続き秋田に残留した。秋田では急行「しらゆき」「おが」をはじめ、奥羽本線・羽越本線の幹線急行で使用された。「57-11改正」では幹線急行は軒並み廃止されるが、当車はローカル輸送として引き続き秋田に残留し、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き田沢湖線・男鹿線等のローカル輸送で使用され、1991年12月にはコマツ製DMF11HZ機関へ換装され、また1993年頃には「秋田色」に塗装変更された。しかし1996年3月に秋田新幹線工事に伴い田沢湖線が全面運休となり、キハ58系は余剰となる。しかし当車は老朽化の進んでいた新庄のキハ58 615を置き換えるため、1997年3月25日付で新庄へ転出した。新庄では快速「月山」の増結車で使用されたが、程なく1997年8月には長野から冷房キハ58が転入し、早くも余剰気味となり、1999年4月5日付で廃車となった。

前面は、土崎工場標準の前面補強がされている。ワイパーは強化型のWP50に更新されているが、手すりの位置は変わっておらず、土崎工場の標準スタイルである。正面窓上の通風口、水切りが残存しており、末期のJR東日本では珍しい。タイフォンカバーは最後までシャッター付きである。テールライトは外ばめ式に改造されている。放送用ジャンパ受栓は土崎標準の、テールライトの外側付近へ移設されている。デフロスタは、運転席側のみに付いている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのが珍しい。乗務員室窓バランサー点検蓋は、原型のままである。機関換装時に給水口が埋められている。便所に汚物処理装置が取り付けられており、その点検蓋が設置されている。
屋根上はほぼ原型のままである。
床下では、機関はコマツ製DMF11HZへ換装されており、同時に機関予熱器が撤去されている。油タンクは角型のものに交換されている。また後位側に汚物処理装置が増設されている。スノープロウは複線型を装備する。


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