キハ58 710




1966年1月27日日本車両製の第6-5次車で、昭和40年度第1次民有で長野機関区へ配置された。同一ロットの710〜713全車が長野へ配置された。長野では中央西線の急行を中心に使用され、急行「きそ」の他、急行「ちくま」「越後」で大阪・北陸本線周りで新潟まで運用された。しかしキハ181系投入による急行「きそ」の特急格上げにより、1970年度末に当車は松本へ転出し、代わりに松本のキハ58 401が美濃太田へ玉突き転出した。松本では転入後すぐ冷房化され、急行「アルプス」を中心に、中央東線急行で使用された。「50-3改正」時の急行「アルプス」完全電車化後も引き続き松本に残り、大糸線経由の急行「白馬」で使用された。「57-11改正」では急行「白馬」が廃止となり松本配置が無くなるため、当車は1982年11月17日付で長野へ転出、飯山線の急行「野沢」や普通列車で使用されるようになった。「61-11改正」で急行「野沢」は廃止されるが、引き続き普通列車用としてJR東日本へ継承された。JR化後は時期不詳であるが「飯山色」化され、また1990年12月にカミンズ製DMF14HZ機関へ換装された。長く飯山線で使用されたが、1997年の長野新幹線開業に関連し飯山線がキハ110系化され、全車余剰となった。しかし当車は新庄で快速「月山」に使用されていた非冷房車を置き換えるため1997年8月27日付で新庄へ転出した。新庄では「飯山色」のまま活躍し、快速「月山」は、「月山色+東北地域本社色+飯山色」のばらばらな塗装で組成された。1999年3月改正では、山形新幹線新庄延伸工事のため一部区間運休となり、この際に快速「月山」は廃止され、当車は余剰となる。しかし検査期限に余裕があったからか、引き続き存命し1999年12月4日付で小牛田へ転出したが、まもなく2000年1月5日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されていない。正面窓上の通風口・水切りは残置されており、JR東日本では長野地区の特徴である。当車は「架線注意」の札が、正面窓上手すりからぶら下がる形状となっており、長野地区の特徴である。デフロスタは、運転席側のみについている。ワイパーは、長野ではWP50への更新例は無く、当車もWP35のままである。テールライトは内ばめ式のままである。タイフォンカバーは、スリット式ながら、穴の隅が角ばった長野地区独特の形態のものを付けている。放送用ジャンパ受栓は、新製時からステップ一体式である。当車は冷房電源用ジャンパ受栓の上部にステップが移設されており、長野でよく見られた特徴である。なお長野ではキハ58前面の冷房用ジャンパ栓は使用しないため、ケーブルが撤去されている。これは新庄に転出後も同じであった。
側面では、運転室窓バランサー点検蓋は新製時からの形状である。車体中央付近にあった機関冷却水口機関換装時に埋められている。乗降ドア隅の丸窓は残置されており、JR東日本では長野地区特有である。
屋根上は、冷房車標準の形態であるが、前・後位側ともにデッキ上の通風器が残っており、珍しい。
床下では、エンジンがカミンズ製DMF14HZへ交換済み、その際に機関予熱器は撤去されている。長野地区では豪雪地帯の割りにスノープロウを装備していないが、当車は新庄転出時に複線用を取り付けている。油タンクは晩年のJR東日本では珍しく原形のままである。


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