キハ58 712



1966年1月27日日本車両製の第6-5次車で、昭和40年度第1次民有で長野機関区へ配置された。同一ロットの710〜713全車が長野へ配置された。長野では中央西線の急行を中心に使用され、急行「きそ」の他、急行「ちくま」「越後」で大阪・北陸本線周りで新潟まで運用された。しかしキハ181系投入による急行「きそ」の特急格上げにより、1973年8月4日付で名古屋へ転出し、急行「のりくら」「紀州」「きそ」等広範囲で活躍するようになった。しかし名古屋では冷房化が進み、1976年に九州から冷房車が転入した際に玉突きで7月8日付で七尾へ転出し、キハ55に代わり急行「能登路」で活躍するようになる。  しかし七尾での活躍は長くなく、「53-10改正」で長野・金沢から大量の冷房車が捻出され、当車は玉突きで978年10月18日付で弘前へ転出した。弘前では奥羽本線・五能線の急行で主に使用され、国鉄末期の急行廃止後は普通列車で使用され、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も弘前配置で引き続き五能線快速や勾配路線の花輪線で使用されたが、1990年より始まったキハ110系投入による車両転配の際に余剰となり、1993年9月27日付で廃車となった。廃車後はサハリンへ譲渡された。

前面は、東北地区に似た前面補強が施工されており、補強板は左右両側にワイパー用の切り欠きがある。正面窓上の通風口・水切りはは残存している。デフロスタは、運転席側のみについている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されており、その際に正面窓下の手すりが左右ともに撤去されており、同じく金沢局の679と共に珍車であった。テールライトは内ばめ式のままである。タイフォンカバーはシャッター式である。放送用ジャンパ受栓は、秋田地区標準のテールライトの外側付近にある。
側面はほぼ原形であるが、側面中央部客室窓下にサボ挿しが追設されている。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下は複線用スノープロウが取り付けられている以外はほぼ原形のままである。


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