キハ58 717



九州最後の普通列車用キハ58系として活躍したうちの1両。

1966年2月3日日本車両製の6-5次車で、昭和40年度第一次民有で竹下機関区へ配置された仲間の1両。同一ロットでは715〜718が同日に竹下へ配置されている。竹下では長崎本線系統の急行で使用され、1970年度には冷房化されている。兄弟4両揃って国鉄末期まで竹下に在籍し、そのままJRに継承された。1987年度には配置換えで長崎へ移動し、1989年2月22日付で九州色へ変更、1989年11月8日付で近郊化改造された。長崎では快速「シーサイドライナー」をはじめ、大村線系統のローカル輸送に使用されたが、快速のアコモ改造に伴い当車は1992年1月18日付で大分へ転出、豊肥本線・久大本線で使用されるようになった。大分では1992年1月18日付でワンマン化されるも、1993年度には大分にキハ125が投入されワンマン運用が置き換えられた。当車は日南線のワンマン化に使用されることになり、1994年3月度で鹿児島運転所(宮崎運用)へ転出した。2001年には日南線をキハ31形及びキハ40系に置き換えとなり、当車は鹿児島運転所本所へ移動し、肥薩・吉都・指宿枕崎線で使用されるようになった。また当車は2000年以降引き続き当面使用する車両となり、1999年7月14日付で汚物処理装置の取り付けが行われた。その後2006年6月〜7月にキハ220形が大分に新製配置されたのを機に車両の大幅な転配が行われ、鹿児島地区のキハ58系ワンマン車は捻出されたキハ40系に置き換えられ用途廃止となり2007年11月2日付で廃車となった。


外観は、鋼体自体は原型をよく保っているが、九州特有の改造や特殊塗装により、原型からは随分雰囲気が変わっている。前述のとおり冷房化年月日は不明であるが、おそらく1970年度であると思われる。
前面は、前面補強が未施工となっている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側テールライトの右へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の雨どい及び通風口が撤去されており、鹿児島地区の標準スタイルである。また、鹿児島地区では降灰の関係上デフロスタを装備している。鹿児島地区標準のフック式のヘッドマークステイが貫通扉に取り付けられている。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。近郊化改造が施工されているので、洗面所が撤去されており、当該箇所の臭気抜き窓がなくなっている。乗降ドア点検蓋は、後期車標準の横長のタイプとなっている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。乗務員室窓バランサー点検蓋は、新製時よりのものが付いている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているが、助手席側のみの、変形車。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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