キハ58 719



1966年2月4日帝国車両製の6-5次車で、昭和40年度第一次民有で和歌山機関区へ配置された仲間の1両。同一ロット719〜722のうち、当車のみが和歌山へ配置されている。当ロット前後の715〜728は軒並み九州へ配置されたが、当車のみ和歌山配置であった。和歌山では紀勢本線の急行「きのくに」で活躍した。1980年3月3日付で、一部急行の受持ち分担が行われ、当車は急行「かすが」用に奈良区へ転出する。1984年10月1日の奈良線電化により奈良機関区の気動車配置が廃止され、当車は9月29日付で亀山機関区へ移動した。亀山では引き続き急行「かすが」の他、他車とともに関西本線・紀勢本線系の普通列車で使用されるようになった。JR化の際はJR西日本に継承されることになり、そのまま亀山配置のまま継承された。JR化後すぐの信楽線廃止・1989年3月の片町線電化後も残り、関西本線で使用された。関西本線は1990年よりワンマン化されるようになり、当車も1990年3月29日付でワンマン化された。しかし関西本線はキハ120系化されることになり、捻出された当車はキハ45系の置き換えのため1994年12月3日付けで小郡へ転出した。小郡転出後は黄色ベースの「広島普通色」へ変更され、ワンマン設備も撤去された。1995年10月1日には組織改正で山口鉄道部となったが運用は変わらない。しかし2000年以降各地からキハ40系が転入し、当車は老朽化のため2002年8月31日付で廃車となった。

前面は、前面補強は和歌山時代由来の関西地区タイプである。制御ジャンパ受栓は、タイフォン左右に分かれたタイプ。放送ジャンパ受栓は、関西地区出身ながら、原型のステップ一体型のままであるのが珍しい。タイフォンカバーは当初からシャッター付きで落成しており、そのまま最後までシャッター付きであった。テールライトは内ばめ式のままである。ワイパーは強化型のWP50へ更新されおり、窓下手すりは極小のタイプに変更されており、名古屋工場の施工であると思われる。正面窓上の通風口・水切りは原型のままである。種別表示幕の横に、列車無線アンテナを挿す筒が設置されており、これは亀山配置車の名残であった。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっている。運転室窓のバランサー点検蓋は、後期車の新製時からの蓋が設置されている。広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。亀山ワンマン時代の車外スピーカーはそのまま残されている。
屋根上は、通風器が全て断面5角形のは小型ベンチレーターに交換されている。その他は標準的な冷房車の形態である。
床下は、ほぼ原型である。


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