キハ58 720



1966年2月4日帝国車両製の6-5次車で、昭和40年度第一次民有で鹿児島機関区へ配置された。同一ロット719〜722のうち、720〜722が鹿児島へ配置されている。鹿児島では急行「フェニックス」等鹿児島・日豊本線の幹線急行や、九州南部の急行で使用され、1969年度には冷房化されている。鹿児島では幹線急行の格上げで後も快速運用で使用され、そのままJR九州へ継承された。JR化後は1988年3月9日に近郊化改造及び九州色へ塗装変更された。その後もワンマン化されず指宿枕崎線等で使用されていたが、1997年10月のキハ200系熊本地区への投入による車両の転配で、鹿児島地区のキハ58系はワンマン車で統一されることになり、非ワンマン近郊形の当車は、ボックスシート車置き換えのため11月29日付で大分へ転出した。大分では豊肥・久大本線の普通列車で活躍したが、最後は2001年10月の筑豊・篠栗線電化で大量の気動車が捻出されたことから余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、前面補強が未施工となっている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の鹿児島工場標準である、助手席側テールライトとタイフォンの間へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の雨どいが撤去されており、鹿児島地区時代の標準スタイルである。鹿児島地区時代のフック式のヘッドマークステイが貫通扉に取り付けられている。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型である。近郊化改造が施工されているので、洗面所が撤去されており、当該箇所の臭気抜き窓がなくなっている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。乗務員室窓バランサー点検蓋は、新製時よりのものが付いている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われている。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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