キハ58 722



九州最後の普通列車用キハ58系として活躍したうちの1両。

1966年2月4日帝国車両製の6-5次車で、昭和40年度第一次民有で鹿児島機関区へ配置された。同一ロット719〜722のうち、720〜722が鹿児島へ配置されている。鹿児島では急行「フェニックス」等鹿児島・日豊本線の幹線急行や、九州南部の急行で使用され、1969年度には冷房化されている。1975年にはお隣都城との間で運用移管があり、当車は1975年3月11日付で都城へ転出した。都城では急行「えびの」等で使用された。そのままJR化を迎えた。都城運転区は1988年には廃止され鹿児島へ統合となり、当車は1988年3月13日付で鹿児島へ戻っている。1988年5月26日には近郊化改造され、1989年1月21日付で九州色へ変更された。指宿枕崎線のワンマン化に伴い、19992年2月18日付でワンマン改造され、引き続き鹿児島配置で指宿枕崎線を中心に使用された。当車は2000年以降引き続き当面使用する車両となり、2000年2月2日付で汚物処理装置の取り付けが行われた。その後2006年6月〜7月にキハ220形が大分に新製配置されたのを機に車両の大幅な転配が行われ、鹿児島地区のキハ58系ワンマン車は捻出されたキハ40系に置き換えられ用途廃止となり2007年6月22日付で廃車となった。

外観は、鋼体自体は原型をよく保っているが、九州特有の改造や特殊塗装により、原型からは随分雰囲気が変わっている。前述のとおり冷房化年月日は不明であるが、おそらく1969年度であると思われる。
前面は、前面補強が未施工となっている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の鹿児島工場標準である、助手席側テールライトとタイフォンの間へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の雨どい及び通風口が撤去されており、鹿児島地区の標準スタイルである。また、鹿児島地区では降灰の関係上デフロスタを装備している。鹿児島地区標準のフック式のヘッドマークステイが貫通扉に取り付けられている。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。近郊化改造が施工されているので、洗面所が撤去されており、当該箇所の臭気抜き窓がなくなっている。乗降ドア点検蓋は、後期車標準の横長のタイプとなっている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。乗務員室窓バランサー点検蓋は、新製時よりのものが付いている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているが、助手席側のみの、変形車。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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