キハ58 724



1966年2月12日帝国車両製の6-5次車で、昭和40年度第一次民有で鹿児島機関区へ配置された。同一ロット723〜727全車が鹿児島へ配置されている。鹿児島では急行「フェニックス」等鹿児島・日豊本線の幹線急行や、九州南部の急行で使用され、1969年度には冷房化されている。1975年にはお隣都城との間で運用移管があり、当車は1975年3月10日付で都城へ転出した。都城では急行「えびの」等で使用され、そのままJR九州へ継承された。都城運転区は1988年には廃止され鹿児島へ統合となり、当車は1988年3月13日付で鹿児島へ戻っている。1988年2月29日には近郊化改造され、1988年9月9日付で九州色へ変更された。その後は指宿枕崎線等で使用されたが、日田彦山線ワンマン化の際に当車が抜擢され、1996年3月16日付で直方へ転出し、1998年12月26日付でワンマン改造された。当車は2000年以降引き続き当面使用する車両となり、2001年3月31日付で汚物処理装置の取り付けが行われた。引き続き日田彦山線の普通列車で活躍したが、最後は2001年10月の筑豊・篠栗線電化で大量の気動車が捻出されたことから余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、前面補強が未施工となっている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の鹿児島工場標準である、助手席側テールライトとタイフォンの間へ移設されている。タイフォンカバーは、原型のスリット状のままであるのが、末期の九州では珍しい。鹿児島地区標準のフック式のヘッドマークステイが貫通扉に取り付けられている。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。近郊化改造が施工されているので、洗面所が撤去されており、当該箇所の臭気抜き窓がなくなっている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。乗務員室窓バランサー点検蓋は、新製時よりのものが付いている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われている。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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