キハ58 727



1966年2月12日帝国車両製の6-5次車で、昭和40年度第一次民有で鹿児島機関区へ配置された。同一ロット723〜727全車が鹿児島へ配置されている。鹿児島では急行「フェニックス」等鹿児島・日豊本線の幹線急行や、九州南部の急行で使用され、1971年度には冷房化されている。鹿児島では幹線急行の格上げで後も快速運用で使用され、そのままJR九州へ継承された。JR化後は他の同ロット車が九州色へ変更や近郊化される中、当車は1987年度に熊本に移動し、急行「えびの」やローカル運用で使用されるようになる。その後1989年3月より急行「えびの」が博多発着となり竹下受持ちとなった際に竹下へ移動し、更にアコモ改造を受けて九州急行色へ変更された。これらの改造・転属は1989年3月3日付けであった。竹下移動後は急行「えびの」で使用された。1991年3月には竹下区は直方区へ統合され、直方配置となる。1992年7月15日のダイヤ改正では急行「由布」「火の山」が特急に格上げされることになり、これに先立ち1991年11月11日付で「シーサイドライナー」色へ変更された。そしてダイヤ改正当日の1992年7月15日付で長崎へ転出、快速「シーサイドライナー」を中心に、長崎本線・大村線の快速・普通列車で使用開始した。しかしながら1997年には香椎線へのキハ200系投入による転配・老朽車両の整理及びシーサイドライナーの編成見直しにより余剰となり、1998年3月26日付けで廃車となった。

前面は、前面補強が未施工となっている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の鹿児島工場標準である、助手席側テールライトとタイフォンの間へ移設されている。タイフォンカバーは、原型のスリット状のままであるのが、末期の九州では珍しい。正面窓上の雨どいや通風口は原型のまま残っている。
屋根上は排気口が屋根より若干飛び出しており、九州標準の形態である。水タンクは原型である。クーラーは銀色に塗装され、それ以外は車体と同じ濃紺で塗装されている。
側面はおおむね原型である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。初期のシーサイドライナー塗装車は、床下機器がほぼ黒色となっている。


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