キハ58 732




1966年1月27日帝国車両製の第6-5次車で、昭和40年度本予算で長野機関区へ配置された。同一ロットの732・733全車が長野へ配置された。長野では中央西線の急行を中心に使用され、急行「きそ」の他、急行「ちくま」「越後」で大阪・北陸本線周りで新潟まで運用された。しかしキハ181系投入による急行「きそ」の特急格上げが続き、1973年度中に名古屋へ転出した。名古屋では急行「きそ」「大社」「紀州」等で非冷房のままで広範囲に使用された。1978年には中央西線の急行の電車化が進み、当車は非冷房であったことから余剰となり、1978年9月18日付で遠く一ノ関へ転出した。一ノ関では当時急行運用は無く、キハ55の置き換えで北上線、大船渡線の普通列車で使用された。そしてそのままJR東日本へ継承された。1990年代上期のキハ110系投入、キハ58系の状態不良者淘汰、機関換装の流れの中で、1990年10月にはコマツ製DMF11HZ機関へ換装され、その後1991年11月5日付けでに快速「南三陸」運用の移管で小牛田へ転出、その後小牛田へ冷房車の転入により1992年3月8日に郡山へ転出、只見線で使用されるようになり、1993年頃に東北地域本社色に変更された。1993年12月1日に、組織変更で只見線運用は会津若松運輸区に移管された。1996年にはキハ48の転入により捻出されるが、新庄区の期限切れキハ58を置き換えるため1996年9月4日付で新庄へ転出した。しかし新庄での活躍は長くなく、1997年に飯山線キハ110系化により長野から冷房車が転入し、1997年8月2日付で廃車となった。

外観は、東北地区配置の非冷房車ながら中部地区の特徴を残しており、異端車であった。
前面は、名古屋工場タイプの前面補強がされている。ワイパーはWP50へ更新されているが、更新時期は一ノ関転出後であったので、手すりの位置は郡山工場標準の、大きく下がった位置へ移設されている。テールライトは、内ばめ式のままである。放送ジャンパは、名古屋地区標準でステップの下に設置されている。当車の特徴は種別表示幕横の「架線注意」の札で、長野地区特有の、正面窓上小手すりにぶら下がる形態のものを残しており、長野時代の名残であった。
側面は乗降ドア下部の丸窓が、鉄板でふさがれている。また、機関換装時に給水口が埋められている。それ以外は原型を保っている。
屋根上は列車無線アンテナが取り付けられている以外は、ほぼ原型のままである。
床下では、機関はコマツ製DMF11HZへ換装されており、同時に機関予熱器が撤去されている。油タンクは角型のものに交換されている。


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