キハ58 740




JR東日本 会津若松運輸区に配置され、只見線で使用されたキハ58のうちの1両。

1966年4月9日新潟鐵工製の6-6次車で、昭和40年度第1次債務で函館運転所へ配置された仲間の1両。同一ロットでは739が同日に函館へ配置されている。函館へは北海道夏季輸送の仮配置であり、夏季輸送終了後9月18日付で本来の配置区である小牛田機関区へ異動した。兄弟の739は青森運転所へ正式配置されたため、740は以後単独行動となった。小牛田では急行「たざわ」「陸中」等の東北本線北部の幹線急行で使用された。東北新幹線開業の「57-11改正」以降は同小牛田区でキハ55系の置き換えとして、普通列車用に使用されるようになった。1983年度末には隣の郡山機関区へ転出し、活躍の場を磐越東・西線、只見・会津線へと移し、そのままJR化を迎えた。JR化後は、1990年12月に機関がコマツ製DMF11HZへ換装され、1993年頃に東北地域本社色に変更された。1993年12月1日に、組織変更で只見線運用は会津若松運輸区に移管され、最後は転入したキハ40系に置き換えられ、1997年11月6日付で廃車となった。

外観は、塗装以外は原型をよく保っている。
前面は、助手席側正面窓上の通風口が撤去されており、晩年のJR東日本の標準スタイルである。前面補強は東北地区タイプである。ワイパーは強化型のWP50に更新されており、そのため正面窓下の手すりの位置が大きく下がっているのは、郡山工場の標準スタイルであった。タイフォンカバーは新製時からのシャッター付である。テールライトは新製時から外ばめである。放送用ジャンパ受栓は原型のままである。デフロスタは、郡山時代には運転席側・助手席側両方に取り付けられていたが、後に運転席側は熱線入りガラスへ交換され、助手席側のみ残っている。
屋根上は列車無線アンテナが取り付けられている以外は、ほぼ原型のままである。
側面は乗降ドア下部の丸窓が、鉄板でふさがれている。当車は乗務員室ドアノブがモデルチェンジ車に準じた窪んだ形状のものになっている。また、機関換装時に給水口が埋められている。
床下では、機関はコマツ製DMF11HZへ換装されており、同時に機関予熱器が撤去されている。油タンクは角型のものに交換されている。


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