キハ58 741 → キハ53 201



JR東日本 会津若松運輸区に配置され、只見線で最末期まで使用されたキハ58系のうちの1両。数少ないキハ58系の両運転台改造車であった。

1966年5月10日富士重工製の6-6次車で、昭和40年度第1次債務で釧路機関区へ配置された仲間の1両。同一ロットでは742・743が同日に函館へ、744が苗穂へ配置されている。釧路へは北海道夏季輸送の仮配置であり、夏季輸送終了後9月15日付で本来の配置区である小牛田機関区へ異動した。ちなみに兄弟の742・743は同じく小牛田へ正式配置されたが、744は盛岡へ配置された。小牛田では急行「たざわ」「陸中」等の東北本線北部の幹線急行で使用された。東北新幹線開業の「57-11改正」以降は同小牛田区でキハ55系の置き換えとして、普通列車用に使用されるようになった。1984年度末には隣の郡山機関区へ転出し、活躍の場を磐越東・西線、只見・会津線へと移したが、JR化直前の1987年3月に郡山工場で両運転台化され、キハ53 201になった。同時期に兄弟の742も同じくキハ53 202になっている。両運転台化改造は運用の効率化が主と思われ、単行で使用された記録は殆ど見られない。郡山配置のままJR化を迎えるが、1988年2月23日にはキハ58と入れ替わりで小牛田運転区へ移動し、陸羽東線や石巻・気仙沼線で使用されるようになった。小牛田時代の1991年度に機関がコマツ製DMF11HZへ換装された。1994年には、左沢線用にキハ101形が新庄区へ追加投入された玉突きで、キハ40系が小牛田へ転入。その玉突きで当車はキハ53 202と共に会津若松区へ移動となった。ちなみにこの2両の転入により会津若松ではキハ58 779・782の2両が廃車になっている。会津若松転入前後に東北地域本社色に変更され、只見線で活躍したが、相変わらず単行で使用されることは無かった。最後は転入したキハ40系に置き換えられ、2000年5月1日付で廃車となった。

外観は、両運転台化されており、珍車であった。しかし非冷房であり塗装以外は原形をよく保っている。(上のイラストは1999年頃の姿)
前位側の前面は、運転室側・助手席側正面窓上の通風口が撤去されていた。前面補強は東北地区タイプである。ワイパーは強化型のWP50に更新されておらず、そのため正面窓下の手すりの位置も原型なのは、早くから改造された東北地区では珍しかった。タイフォンカバーは新製時からのシャッター付である。テールライトは新製時から外ばめである。放送用ジャンパ受栓は原形のままである。デフロスタは、郡山時代には運転席側・助手席側両方に取り付けられていたが、後に運転席側は熱線入りガラスへ交換され、助手席側のみ残っている。
後位側の前面は、助手席側正面窓上の通風口が撤去されていた。前面補強はJR化後の郡山工場タイプであり、台座の付いた正面窓下手すり、台枠付近のアンチクライマーが特徴である。非冷房車でこのタイプの前面補強は珍しい。ワイパーは強化型のWP50に更新されていた。タイフォンカバーは回転式蓋が取り付けられており、郡山工場の特徴。しかし、これら形態から増設顔の種車を割り出すのは非常に困難であるが、消去法からおそらくキハ58 67番であると推測される。テールライトは前面補強時に外ばめ式へ変更された。放送用ジャンパ受栓は原形のままである。デフロスタは、郡山時代には運転席側・助手席側両方に取り付けられていたが、後に運転席側は熱線入りガラスへ交換され、助手席側のみ残っている。前位側・後位側とも、貫通扉に小牛田時代の快速「南三陸」「いでゆ」用ヘッドマーク受けが残っていた。
屋根上は列車無線アンテナ・只見線用衛星アンテナが取り付けられている以外は、特徴はない。
側面は乗降ドア下部の丸窓が、鉄板でふさがれている。後位側は増設運転台側の種車から持ってきたのか、丸窓は無い。乗務員ドアは、増設側の後位側がドアノブが窪みの中にあるモデルチェンジ車用と同じものに交換されている。機関換装時に給水口が埋められている。乗務員室窓バランサー点検蓋や乗降ドア点検蓋は、前位側・後位側でそれぞれ種車の特徴を引き継いでいた。
床下では、機関はコマツ製DMF11HZへ換装されており、同時に機関予熱器が撤去されている。油タンクは角型のものに交換されている。

なお、最末期の姿以外に時系列で外観の変遷を示す。

↑改造から間もない1988年頃の姿。この時点で既に乗降ドア下部の丸窓は塞がれている。また小牛田移動後なので貫通扉にヘッドマーク挿しが既に取り付けられている。後位側は前面補強前で原形を良く表している。側面後位側乗降ドアにはタブレット保護柵が残存している。回転蓋式タイフォンが特徴。



↑1990年頃の姿。あまり変化が無いが、正面窓上部の通風口が一部埋められていることと後位側乗降ドアのタブレット保護柵が撤去されているのが大きな変化。



↑1991年頃の姿。同年中に機関がコマツ製DMF11HZ系へ換装されて側面の機関冷却水給水口が埋められているが、それ以外の変化はぱっと見見当たらない。



↑1992年頃の姿。後位側の前面補強前だが塗装が東北地域本社色に変更され、床下の油タンクも角型に交換されている。塗装変更と油タンク交換が同時に施工されているのかは不明。



↑1994年頃の姿。1993年に郡山工場で後位側の前面補強が施工され大きく姿を変えている。また側面のシルバーシートステッカーが無くなっている。



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