キハ58 745



1966年5月19日富士重工製の6-6次車で、昭和40年度第1次債務で苗穂機関区へ配置された仲間の1両。同一ロット745〜748全車が苗穂に配置されれている。苗穂へは北海道夏季輸送の仮配置であり、夏季輸送終了後9月16日付で本来の配置区である盛岡機関区へ転属した。盛岡では東北本線の幹線急行で使用され、東北本線の電化後も急行「陸中」「たざわ」等で使用された。東北新幹線開業に伴う「57-11改正」後は釜石線内のみとなった急行「陸中」や、田沢湖・釜石・山田・花輪線の普通列車で使用された。1985年より急行「陸中」にも冷房車が入るようになり、当車は専らローカル用となりそのままJR東日本へ継承された。JR化後は1988年度に盛岡色へ変更となった。しかし1990年より始まったキハ110系投入により余剰となり、1993年2月1日付で廃車となった。

前面は、前面補強は国鉄時代の盛岡地区標準的な施工で、運転室側・助手席側ともにWP50対応の切り欠きがある。ワイパーは強化型のWP50に交換されており、それを避けるよう運転室窓下の手すり位置が大きく下がっているのは盛岡地区の特徴である。放送用ジャンパ受栓は盛岡地区標準の、ステップ上部へ移設されている。テールライトは新製時より外ばめ式である。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
側面は、乗降ドア下部の小窓が鉄板で塞がれている。当車は乗務員室ドアノブがモデルチェンジ車に準じた窪んだ形状のものになっている。当地区では側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下では、複線用スノープロウを付けている以外はほぼ原形である。


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