キハ58 747



1966年5月19日富士重工製の6-6次車で、昭和40年度第1次債務で苗穂機関区へ配置された仲間の1両。同一ロット745〜748全車が苗穂に配置されれている。苗穂へは北海道夏季輸送の仮配置であり、夏季輸送終了後9月15日付で本来の配置区である尻内機関区へ転属した。尻内では、八戸線から東北本線・奥羽本線の急行「なつどまり」「深浦」等に使用され、1971年3月31日には尻内駅は八戸駅へ改称され、八戸機関区所属となった。車生の大半を八戸で過ごし、急行列車削減後も八戸線・大湊線の快速に使用され、そのままJR化を迎えた。JR化後は、1988年12月21日には盛岡色に変更され、引き続き快速列車を中心に活躍したが、1990年より始まったキハ110系大量新製に伴う車両転配で同地区はキハ40系に統一されることになり、1992年10月1日付で廃車となった。

前面は、前面補強は国鉄時代の盛岡地区標準的な施工で、運転室側・助手席側ともにWP50対応の切り欠きがある。ワイパーは強化型のWP50に交換されており、それを避けるよう運転室窓下の手すり位置が大きく下がっているのは盛岡地区の特徴である。放送用ジャンパ受栓は秋田地区標準のテールライトの外側へ移設されている。テールライトは新製時より外ばめ式である。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
側面は、乗降ドア下部の小窓が鉄板で塞がれている。当地区では側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。また、当車は八戸時代に盛岡色へ変更されており、車番表記が赤色になっている。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下では、複線用スノープロウを付けている以外はほぼ原形である。


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