キハ58 749 → キハ58 7212



1966年5月27日富士重工製の第6-6次車で、昭和40年度第1次債務で釧路機関区へ配置された。同一ロットの749・750全車が釧路へ配置された。釧路へは北海道夏季輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後1966年10月2日付で750と共に米子へ正式配置された。米子では山陰本線系の急行で使用され、急行「だいせん」「伯耆」等で使用された。1970年頃に冷房化された。1974年度に運用持ち替えで鳥取へ移動したが、引き続き山陰本線の急行「但馬」「白兎」等で使用された。国鉄末期の急行削減後もある程度の急行は残り、更に余剰車は都市間快速や客車置き換えで普通列車に使用され、同一ロットの仲間と共に鳥取配置のままJR西日本に継承された。JR化後の鳥取では山陰本線の快速や急行「砂丘」で使用されたが、砂丘のグレードアップを行う際に抜擢され、1992年9月12日付けでリクライニングシート化・塗装変更・延命工事を施工し、車号もキハ58 7212へ変更された。急行「砂丘」は線形の悪い津山線・因美線を走行しスピードアップが困難であったことから、1997年のダイヤ改正で智頭急行経由の特急「いなば」が新設されることになり、1997年11月29日で急行「砂丘:は廃止された。他の一部仲間は新設される急行「つやま」に使用するため津山へ転出したが、当車は用途を失い保留車のまま鳥取に残り、1998年9月10日付で廃車となった。

前面は、延命工事時に正面窓上の通風口が埋められており、水切りも撤去されている。後藤工場標準形態の前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパは、原形のままステップの下にある。タイフォンカバーは最後までシャッター付きである。テールライトは原形の外ばめである。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは山陰地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、原形のままである。タブレットキャッチャー及び同保護柵を付けたまま最期を迎えた。
屋根上は延命工事時に全ての通風器がハーフガーランド形へ変更されており、屋根上の水タンクは金沢地区に端を発する角型のものに交換されているのは、延命工事施工車の特徴である。デッキ上の通風器は撤去され見当たらない。
床下機器はほぼ原形である。


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