キハ58 755



急行「くまがわ」用として最後まで活躍したうちの1両。

1966年4月27日日本車両製の6-6次車で、昭和40年度第1次債務で竹下気動車区へ配置された仲間の1両。同一ロット751〜755では753〜755が竹下へ配置されている。竹下では急行「いなさ・弓張」等長崎本線系統の急行で活躍した。1976年の長崎本線電化やその後の急行から特急への格上げ後も引き続き残留し、北九州地区の普通・快速列車で使用され、そのままJRへ継承された。JR化後すぐの1987年度には、快速「シーサイドライナー」拡充のため長崎へ転出する。しかし、急行列車のアコモ改善に回ることとなり、1989年3月11日付で大分へ転出し、1989年12月21日付でアコモ改造及び九州急行色への変更が行われ、急行「由布」「火の山」で活躍した。1992年7月のダイヤ改正でキハ185系投入による急行の特急格上げにより余剰となり、快速「シーサイドライナー」のアコモ改善のため1992年7月15日付けで長崎へ転出した。転出前の1992年2月28日には濃紺ベースの「シーサイドライナー色」へ変更されていた。しかし1994年にはシーサイドライナーへのキハ200型投入により早くも余剰となり、状態の良い当車は急行「えびの」「くまがわ」用として1994年3月3日付けで熊本へ転出する。転出後は青色ベースの専用色へ変更され、前記急行で使用された。2000年の急行「えびの」廃止後も残り、2000年5月30日には汚物処理装置取付が行われ、引き続き急行「くまがわ」で使用されるが、2004年3月13日のダイヤ改正で急行「くまがわ」が特急に格上げされることになり、用途を失う。そして2005年2月16日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側テールライトの右へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の雨どいが撤去されており、鹿児島地区の標準スタイルである。急行「えびの」「くまがわ」用のフック式のヘッドマークステイが貫通扉に取り付けられている。テールライトは新製時から外ばめ式である。正面貫通扉窓にシーサイドライナー時代の「SSL」のステッカーが残っており、またSSLシーサイドライナー塗装時に、ロゴを避けるため正面小手すりの位置が下げられており、長崎時代の面影を残していた。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。屋根上は全て車体色と同色の青で塗装されている。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。運転室側窓のバランサー点検蓋は、新製時よりのものを装備している。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているが、当車は助手席側のみのタイプである。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備している。九州では珍しく、機関予熱器が残置されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。当該塗装の車両は、床下機器が黒色で塗装されている。


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