キハ58 758



1966年5月2日日本車両製の6-6次車で、昭和40年度第一次債務で函館運転所へ配置された仲間の1両。同一ロット756〜760の5両のうち、756・757は大分配置・758・759は函館経由青森配置、760は苗穂経由青森配置であった。函館へは北海道夏季輸送用の仮配置であり、1966年9月19日付で青森へ転出した。青森では東北本線の幹線急行で使用されたが、1972年より青森運転所が手狭になったためキハ58系は秋田や盛岡へ集約されることになり当車は1972年度中に盛岡へ転出した。盛岡では急行「陸中」をはじめ東北本線北部の幹線急行や盛岡周辺の支線急行で活躍した。東北新幹線開業に伴う「57-11改正」後は釜石線内のみとなった急行「陸中」や、田沢湖・釜石・山田・花輪線の普通列車で使用された。1985年より急行「陸中」にも冷房車が入るようになり、当車は専らローカル用となり、国鉄末期の1987年3月に盛岡色へ変更されそのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き前述の各路線で普通列車に使用されたが、1990年より始まったキハ110系投入により余剰となった。しかし1990年7月12日にはキハ110系化が予定されていた中込へ転出した。これは中込のキハ58の一部が今後の転属を見越して機関換装等の改造を行っており、その予備車を確保するためであった。しかし小海線の完全キハ110系化された際に余剰となり、1993年9月27日付で廃車となった。廃車後はサハリンに譲渡された。尚、盛岡からサハリンへ譲渡された車両は盛岡区で赤帯を消して真っ白の状態で渡ったが、当車は中込からの譲渡であったため、盛岡色のまま譲渡され異彩を放っていた。

前面は、前面補強は国鉄時代の盛岡地区標準的な施工で、運転室側・助手席側ともにWP50対応の切り欠きがある。ワイパーは強化型のWP50に交換されており、それを避けるよう運転室窓下の手すり位置が大きく下がっているのは盛岡地区の特徴。放送用ジャンパ受栓は盛岡地区標準の、ステップ上部へ移設されている。テールライトは新製時より外ばめ式である。正面窓上の通風口は、助手席側のみ撤去されている。
屋根上はほぼ原形のままである。
側面は、乗降ドア下部の小窓が鉄板で塞がれている。また中込転属後、車両中央部側窓下にサボ挿しが追設されている。
床下はほぼ原形である。盛岡時代の複線用スノープロウは中込では撤去されており、盛岡色ながらスノープロウ無しという珍車であった。


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