キハ58 764



1966年6月30日新潟鉄工製の7-1次車で、昭和40年度第2次債務で美濃太田機関区へ配置された。同一ロット764〜766のうち、764・765が美濃太田へ配置された。美濃太田では急行「のりくら」を中心に名古屋を起点とする急行で活躍したが、1972年には長野との間で車両交換があり、当車は7月3日付で長野へ転出した。長野では急行「きそ」の他、「ちくま」「ゆのくに」」「越後」等で広範囲で活躍したが、1973年の中央西線電化による電車化により「きそ」が削減され、1973年7月11日には美濃太田へ戻っている。引き続き美濃太田では急行「のりくら」を中心に国鉄末期まで活躍したが、国鉄最後の「61-11改正」で急行「のりくら」の運用は全て名古屋へ移管され、当車も1986年10月30日付で名古屋へ転属した。そしてそのままJR東海へ継承された。JR化後も主に急行で使用されたが、1989年3月ダイヤ改正でキハ85系が投入され「のりくら」が1往復減便された際に余剰となり、後期車ながら真っ先に1989年9月17日付で廃車となった。

外観は、名古屋時代の形態を色濃く残している。
前面は、後期車であり前面補強されていない。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋地区の特徴である。タイフォンは当車のみの、小さな孔が多数開けられた板のようなカバーを取り付けており、大変珍しい。テールライトは新製時より外ばめ式である。制御用ジャンパ受栓の位置は、左右離れた位置に設置されている。放送ジャンパは後期車標準のステップ一体型である。
側面は、ほぼ原形である。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下機器も原形である。


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