キハ58 765



1966年6月30日新潟鉄工製の7-1次車で、昭和40年度第2次債務で美濃太田機関区へ配置された。同一ロット764〜766のうち、764・765が美濃太田へ配置された。美濃太田では急行「のりくら」を中心に名古屋を起点とする急行で活躍し、1970年には冷房化されたが、1972年には長野との間で車両交換があり、当車は6月28日付で長野へ転出した。長野では急行「きそ」の他、「ちくま」「ゆのくに」」「越後」等で広範囲で活躍したが、1973年の中央西線電化による電車化により「きそ」が削減され、1973年7月11日には美濃太田へ戻っている。引き続き美濃太田では急行「のりくら」を中心に国鉄末期まで活躍したが、国鉄最後の「61-11改正」で急行「のりくら」の運用は全て名古屋へ移管され、当車は美濃太田配置のまま普通列車専属となり、そのままJR東海へ継承された。JR化後も高山本線・太多線の普通列車で使用されたが、1989年3月ダイヤ改正でキハ11が大量投入された際に余剰となり、3月9日付で名古屋へ移動した。名古屋では再び急行「のりくら」で使用されるが、1990年3月のダイヤ改正で急行「のりくら」が廃止され快速「みえ」が新設された際、この快速「みえ」専用車となり、塗装も「みえ色」へと変更された。しかし事故や故障等何らかのトラブルがあったのか、改造後間もない1990年11月26日付で廃車となった。

前面は、後期車であり前面補強されていない。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋地区の特徴である。タイフォンは新製時よりシャッター式である。テールライトは新製時より外ばめ式である。制御用ジャンパ受栓の位置は、左右離れた位置に設置されている。放送ジャンパは後期車標準のステップ一体型である。当車は「みえ」色のまま廃車となったが、初期の「みえ色」」であり、正面のオレンジ帯が幌枠で切れていない。
側面は、ほぼ原形である。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下機器も原形である。


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