キハ58 766



1966年6月30日新潟鉄工製の7-1次車で、昭和40年度第2次債務で長野機関区へ配置された。同一ロット764〜766のうち、当車のみが長野へ配置された。長野へは中部山岳の夏季輸送のための仮配置で、9月21日付で本来の配置区である鹿児島へ転属した。鹿児島では鹿児島本線・日豊本線の幹線急行で使用されたが、1968年度には需給の関係で直方へ転出した。直方は急行「はんだ」「日田」等のローカル急行のみを担当しており、1975年までは非冷房車のみの配置であったが、1975年にキハ66系が投入されると非冷房キハ58系は大半が水戸へ転出することになり、当車も1975年3月6日付で水戸へ転出した。水戸ではキハ55に代わり、急行「いわき」「いなわしろ」で活躍するようになった。水戸では1975年以降もキハ58系の冷房化が細々と続いていたが1980年で中止され、同年に徳島より冷房キハ58系が転入したことから捻出され、1980年10月6日付で郡山へ転出した。郡山では東北本線南部の急行「いいで」、「いなわしろ」等で使用された。「57-11改正」で急行が大削減された後は、キハ55系の置き換えとして磐越西・東線・只見線で使用され、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き郡山配置で前述の各路線で普通列車で使用され、1988年度には東北地区のキハ58系では珍しく近郊化改造された。1990年より始まったキハ110系投入により余剰となるが、当車は他区の機関換装工事に伴う予備車確保のため活用されることになり、1991年3月16日付で新潟へ転出した。転出後1991年11月1日には組織改正で新津運輸区所属となったが、磐越西線や米坂線の快速・普通列車で使用された。しかし機関換装も終わり予備車としての役割も終わり、1993年3月1日付で廃車となった。

最後まで東北らしくない、転入車然とした外観を残していた。
前面は、前面補強されていない。ワイパーは原形のWP35のままで、正面窓下の手すりも原形のままである。タイフォンカバーは九州タイプのスリットカバーを取り付けており、直方時代の名残であった。テールライトは新製時より外ばめ式である。デフロスタは左右両側に付いている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が鉄板で塞がれている以外は原形のままである。JR東日本の近郊化改造車は外観への変化は伴わない。
屋根上は、ほぼ原形のままである。
床下では、単線用スノープロウを取り付けている以外は原形のままである。なお水戸時代は複線用スノープロウを付けていたが、郡山で単線用に交換されている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る