キハ58 767 → キハ58 5005



1966年7月7日新潟鉄工製の7-1次車で、昭和40年度2次債務で長野機関区へ配置された。同一ロット767〜769のうち、当車のみが長野へ配置されている。長野へは中部山岳登山輸送のための仮配置で、夏季輸送後の9月17日付で本来の大分機関区へ配置された。ちなみに同ロットの768も同一理由で金沢に新製配置されたのちに同日付で大分へ正式配属されている。大分では急行「由布」「火の山」などの豊肥本線・久大本線の横断急行列車をメインに使用された。1970年頃には冷房化されている。そのまま国鉄末期まで大分で急行で使用され、1985年の急行指定席アコモ改造の際に種車に抜擢され、1985年3月16日付でグリーン車発生品のリクライニングシート化され車号もキハ58 5005に変更された。そしてそのままJR九州に継承された。JR化後は急行の一部を竹下で受け持つようになったことから1989年3月10日付で竹下へ転出し、1989年7月21日に「九州急行色」へ変更された。1990年には5001と交換され、当車は1990年3月8日付で大分へ戻った。引き続き急行の指定席車として活躍したが、1992年には急行「由布」「火の山」はキハ185系で特急化されることとなり、当車は転出を見込んで1992年6月29日付で快速「シーサイドライナー」化された。そしてダイヤ改正後の1992年7月15日付で長崎へ転出した。1994年にはキハ200が投入され一部車両が置き換えられるが当車は引き続き使用され、1997年頃にはキハ200に合わせた、青色ベースの新塗装へ変更された。2000年以降はJR九州では汚物処理装置取付100%化するため、2001年3月26日同装置が取り付けられた。しかし2001年10月6日の筑豊・篠栗線電化によりキハ66・67が長崎へ転入し始め余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されているが、九州標準タイプより板が上方へ大きく、関西地区施工車のようにワイパー部の切り欠きがある変形車。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが、正面窓下の手すりの位置はほとんど変わっていない。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は初期冷房車の位置にあり、またステップは撤去され存在しない等は、九州では変形車である。放送用ジャンパ受栓は、九州標準の、タイフォンの上部へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の通風口、雨どいは残ったままである。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。クーラーは灰色であったが、屋根板は車体と同色で塗られている。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。乗降扉の戸袋点検蓋は、キハ40系に類似したユニット式に更新されている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備している。機関予熱器が残っているのが、末期の九州では珍しい。後位側に循環式汚物処理タンクを装備している。


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