キハ58 768



JR九州で、アコモ改造されながら九州色となった唯一のキハ58。

1966年7月7日新潟鉄工製の7-1次車で、昭和40年度2次債務で金沢運転所へ配置された。同一ロット767〜769のうち、当車のみが金沢へ配置されている。金沢へは中部山岳登山輸送のための仮配置で、夏季輸送後の9月17日付で本来の大分機関区へ配置された。ちなみに同ロットの767も同一理由で長野に新製配置されたのちに同日付で大分へ正式配属されている。大分では急行「由布」「火の山」などの豊肥本線・久大本線の横断急行列車をメインに使用されたが、熊本担当の急行「えびの」にキハ58を増強することから1968年度に熊本機関区へ移動した。熊本は勾配路線を抱えキハ28の配置が少なかったことから冷房化が遅れたが、キハ65の配置を待って1972年度に冷房化された。その後も熊本配置で長く急行「えびの」で使用され、国鉄末期には急行「くまがわ」指定席車のアコモ改造を進めることになり、1986年10月22日付でリクライニングシート化されたが、当年度以降の改造車は改番はされなかった。そして1986年10月30日付で「くまがわ」用に人吉へ転出し、そのままJR九州へ継承された。JR化後は、人吉運転区が廃止され熊本に統合されることから、1987年3月13日付けで熊本へ転出。以後「えびの」「くまがわ」共通で使用された。1989年にはJR九州の機関換装試験車に抜擢され、1989年12月26日付で後位側の機関がコマツ製DMF11HZへ換装され、同時に塗装も「九州急行色」へ変更されたうえで12月27日付で竹下へ転出した。ちなみにこれと入れ替わりで竹下の1133が竹下から熊本へ移動している。竹下では主に急行「えびの」で使用され、1991年には組織改正で直方に統合された。1993年には「えびの」博多運用が廃止され急行運用が無くなり、他のアコモ改造車は「シーサイドライナー」や「えびの」用として長崎や熊本へ転出したが、当車は他の機関換装車である5001・5004と共に引き続き直方に留まり、ローカル輸送に使用されるようになった。これは機関換装車という異端車は小倉工場の近くで運用したいという都合であったと思われる。しかしながらアコモ改造・機関換装試験車という車はローカル輸送でも使いづらく、他の5001・5004は比較的早期に廃車となってしまう中、当車は1997年頃に機関が原型のDMH17Hに復旧され、塗装も九州色へ変更の後1997年11月29日付で長崎へ転出、快速「シーサイドライナー」として使用されるようになった。当車はアコモ改造車であり、この際なぜ「シーサイドライナー」塗装に変更されなかったのかは不明である。よってアコモ改造車で唯一の九州色を纏うキハ58となった。2000年以降はJR九州では汚物処理装置取付100%化するため、2001年2月26日同装置が取り付けられた。しかし2001年10月6日の筑豊・篠栗線電化によりキハ66・67が長崎へ転入し始め余剰となり、一旦2001年10月6日付で豊肥久大鉄道事業部へ転出するも、2002年3月22日付で廃車となった。末期の九州キハ58ではかなり特異な車であった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側テールライトの右へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の通風口、雨どいは残ったままである。急行時代のフック式のヘッドマークステイが貫通扉に取り付けられている。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。クーラーは灰色であったが、屋根板は車体と同色で塗られている。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。乗務員室窓バランサー点検蓋は、新製時よりのものが付いている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているが、助手席側のみの半欠けとなっている。機関は晩年は原型のDMH17Hエンジンを装備している。機関予熱器が残っているのが、末期の九州では珍しい。後位側に循環式汚物処理タンクを装備している。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る