キハ58 770



1966年6月10日富士重工製の7-1次車で、昭和40年度第二次債務で高松機関区へ配置された。同一ロット770〜773全車が高松へ配置された。高松では四国島内の急行列車で使用され、1970年度には冷房化された。国鉄末期のダイヤ改正で急行列車の削減が続いたが当車は引き続き急行運用に就き、そのままJR四国へ継承された。JR化後は1988年3月26日付けでバケットシート化され、1988年2月15日付けで四国色に変更された。1990年の2000系投入によりローカル輸送に使用されることになり、1990年6月5日付けで近郊化改造されると共に、1990年11月21日付で松山へ転出した。松山では終始普通列車に使用されるが、1999年7月にキハ185系が普通列車に使用開始されると余剰となり、一時サイクリングトレイン用にステッカーを貼り使用されたが長続きせず、2000年3月31日付で廃車となった。

前面は、後期車であることから、前面補強未施工のまま一生を終えている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は、四国標準に位置に改造されている。タイフォンカバーは、シャッター付からスリット状に改造されている。
屋根上は近郊化改造時に便所が撤去されているので、併せて屋根上の水タンクも撤去され、キハ28のような状態になっている。
側面は便洗面所が撤去された際に、臭気抜き窓が撤去されている。便洗面所窓ガラスも透明のものに交換されている。汚物処理タンクが設置されていた名残で、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、新製時からの形態である。
床下では、機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、2位側の機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備していたが、便所撤去の際に当然撤去されている。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった加工窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る