キハ58 771



1966年6月10日富士重工製の7-1次車で、昭和40年度第二次債務で高松機関区へ配置された。同一ロット770〜773全車が高松へ配置された。高松では四国島内の急行列車で使用され、1969年には早くも冷房化された。国鉄末期〜JR化後のダイヤ改正で急行列車の削減が続いたが当車は引き続き急行運用に就き、1987年2月20日付けで回転クロスシート化され、そのままJR四国へ継承された。JR化後の1988年には四国色の試験塗装が施されたが、後に四国色が決定すると1989年1月27日で塗りなおされた。その後も高松配置で急行に使用されたが、1990年の2000系投入によりローカル輸送に使用されることになり、1990年11月2日付けで近郊化改造されると共に、1990年11月21日付で松山へ転出した。松山では終始普通列車に使用されたが、予讃本線の電化延伸により余剰となり、近郊化改造からわずか3年の1993年11月30日付で廃車となった。

前面は、後期車であることから、前面補強未施工のまま一生を終えている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は、四国標準に位置に改造されている。タイフォンカバーは、シャッター付からスリット状に改造されている。
側面は便洗面所が撤去された際に、臭気抜き窓が撤去されている。便洗面所窓ガラスも透明のものに交換されている。汚物処理タンクが設置されていた名残で、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、後期車標準の、新製時よりのものを装備している。
屋根上は、後位側の水タンクが近郊化改造後に撤去されている。前位側デッキ上の通風器が残存しているのは四国ではよく見られた形態である。
床下では、後位側に循環式汚物処理タンクを装備していたが、便所撤去の際に当然撤去されている。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった加工窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


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