キハ58 777



キハ58系随一のラッキーナンバー車

1966年6月29日富士重工製の7-1次車で、昭和40年度第二次債務で高松機関区へ配置された。同一ロット776・777両車とも高松へ配置された。高松では1968年4月16日付けで簡易冷房車に改造されたのちに、1970年2月4日付けで量産冷房化された。高松では終始四国島内の急行列車で使用された。国鉄末期〜JR化後のダイヤ改正で急行列車の削減が続いたが当車は引き続き急行運用に就き、そのままJR四国へ継承された。JR化後の1988年3月10日付でバケットシート化され、1989年3月6日には四国色へ塗装変更された。引き続き高松配置で急行に使用されたが、1990年の2000系投入によりローカル輸送に使用されることになり、1990年8月29日付けで近郊化改造されると共に、1990年11月21日付で高知へ転出した。高知では主に土讃線の普通列車に使用されたが、1990年以降1000型の増備が続き余剰となり、近郊化改造からわずか2年半の1993年3月31日付で廃車となった。

前面は、後期車であることから、前面補強未施工のまま一生を終えている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は、四国標準に位置に改造されている。タイフォンカバーは、シャッター付からスリット状に改造されている。
側面は便洗面所が撤去された際に、臭気抜き窓が撤去されている。便洗面所窓ガラスも透明のものに交換されている。汚物処理タンクが設置されていた名残で、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、後期車標準の、新製時よりのものを装備している。
屋根上は後位側の水タンクが近郊化改造後に撤去されている。前位側デッキ上の通風器が残存しているのは四国ではよく見られた形態である。
床下では、後位側に循環式汚物処理タンクを装備していたが、便所撤去の際に当然撤去されている。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった加工窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


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